ふたりの夜に



「…選んでおけば、とは?」

「あ、あれは…!こちらの話なので…」

「ふむ。気になりますね。ではじっくりと考えることにします」


この様子だと、咲良が目覚めた瞬間には、既に陸遜の意識はあったのではないだろうか。
狸寝入りをするなんて、卑怯だ。
感謝すべき対象であれど、あまり良い気はしない(とにかく恥ずかしかったのだ)。


「あっ!?わ、私、陸遜様にご迷惑を…!昨日、重かったですよね…ごめんなさい…!」

「昨夜のこと、覚えていらっしゃったのですね。重くなどありませんよ、まるで羽根のようでした」

「っ…あ、ありがとうございました。あと、記憶が定かではないのですが、何かお約束を交わしたような…?」

「はい。楽しみにしていますよ?」


にこ、と完璧な笑みを向けられてしまう。
眩しすぎる笑顔に目が眩みそうになったが、偶然か、同じ頃に、閉ざされた窓の隙間から光が射し込んできた。


「夜が明けますね」


朝の、一日の始まりである。
陸遜の言葉に反応し、顔を上げた咲良。
低血圧なため、好んで早起きをしない咲良にとって、明け方の薄明をこうやってじっくりと目にするのは非常に珍しいことだっだ。
窓を開ける陸遜に続き、外を、遠くを眺めた。


「…綺麗…」


眩しい太陽が顔を覗かせ、惜しみない輝きで広い地を照らす。
建業の朝だ。
風がそよぎ、葉や花々が揺れ、町は人々の活気に満ち溢れる。
孫呉の地は、これほどまでに美しい。
決して作られたものなどではない。
世界は、人々は共に、この太陽の下に存在するのだ。


「知らなかった…ちゃんと生きているんですね。私も、陸遜様も…」

「…ええ。その通りです」

「あはは…、私、変だ…なんだか凄く、泣きそうです…悲しい訳じゃないのに…」


自分はこんなにも容易く涙が流れる。
嬉しくても、悲しくても。
涙は己の感情を素直に表現してくれる。
だが、陸遜は違うというのだ。
泣けないのだと。
だから、泣かせてみろと。

そんなの、無理な注文だ。
今までのやり方で…、皆に認められる落涙の旋律であっても、陸遜の涙は流れなかったのだから。
音曲以外で人を泣かせる方法なんて、一つも思い当たらない。


(だけど…これから、もっともっと頑張って、世界中の人の心の琴線を震わせることが出来る、本当の楽師になったら…)


将来、演奏家になりたいだなんて、夢見たことはあれど口にしたこともない。
大体、笛の腕を磨く暇があったら悠生に関する情報を集めに行くべきなのに。
咲良はこの世界で生き続ける、ひとつの理由を得てしまった。


 

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