ささやかな戯れ



歴史を、周泰の未来を変える…それならば、もう二度と帰れない、帰らないと誓わなければならない。
故郷と家族を捨て、夢を現実とし、乱世を生きていく周泰を支える夫人となる、覚悟を決めて…


「あ、あれ…」

「…落涙様…?」

「揺れてません?気のせいかな…」


微かな振動を感じる。
もしかしたら自分だけが、平衡感覚を失っているのだろうか。
見計らったかのように蝋燭の炎がふっと消え、辺りが闇に支配される。

しかし周泰も違和感を覚えたようで、次の瞬間には、城全体が横に揺れ始めた。
ゆっくり、徐々に激しく、大地が震える。


「じ、地震…!わっ…」

「落涙様、」


急な揺れに体勢を崩し、周泰は転びそうになった咲良の腕を引いた。
そして、強く抱き締められる。
胸が圧迫され、苦しいと感じるほどに。
咲良は周泰の腕の中で驚きに目をぱちぱちさせたが、急激に顔が熱くなっていった。


(どっ、どうしよう…!こんなところ、誰かに見られたら…)


当たり前のように、甘寧の姿が思い浮かんでしまう。
彼への想いは、忘れなければならないのに…。
情けないと、咲良は泣きそうになり唇を噛んだ。
周泰とはいずれ夫婦となる間柄、他人に見られて困るものではないだろう。
それなのに、心が現実を受け入れられないのだ。


(好きだったんだなぁ…甘寧さんのことが…)


小刻みな揺れはなかなか収まらなかった。
地響きも鳴り止まず、どこかで花瓶が倒れて破損した音が聞こえたが、ずっと遠くに感じられた。


「…私の…馬鹿ッ…」


くぐもった声だが、呟きは思った以上にはっきり発音されてしまった。
咲良は周泰の胸に顔を埋め、必死に声を殺す。
好きだったのだ、いつの日か、本当に。
あの乱暴な、でも真っ直ぐな男に…魅入られていた。
許されない想いだと分かっているのに、忘れることが出来ない。
周泰の妻になる資格も、自信さえ失ってしまった。


「…俺は…ある人に、自分の最も大事な人は孫権様だろうと…指摘されました…。どうせ、落涙様の涙は…二の次にするのだろうと…」

「…周泰さん…」

「…確かに俺は…孫権様をお守りしなければなりません…こんな俺では、貴女に笑っていただくことなど…甘寧のように、貴女の涙を拭うことなど…出来ないのです…」


今、咲良の心に住んでいるのは、甘寧だ。
周泰はその事実に気が付いていたのかもしれない。
苦しそうに、だが強く言葉にするのだ。
まるで、咲良の中を支配する甘寧を打ち消すかのように。


「…それでも俺は…、落涙様に…俺の子を生んでいただきたい…」

「っ…!?周泰さん、そんな直球なプロポーズって…!」

「…ぷろ…?」


甘寧なら、仕事をそっちのけにしても、恋人が泣くようなことがあれば飛んできてくれる。
愛の言葉を望めば惜しみなく与えてくれるだろうし、甘寧と一緒になれば明るい日々が待っていることは容易に想像出来た。

…孫権と周泰の深い絆を前にしたら、夫人が後回しにされることなど明らかである。
だが、周泰は咲良の気持ちを知った上で、落涙を愛するというのか。
生まれも知れない、偽りだらけの女との家族を作りたいと、願っているのだろうか。


「…いつか…俺にも…貴女の本当の名を…咲良と…呼ばせてください…」

「っ……」


周泰は何事も無かったかのように体を離すと、邸を目指して歩き出す。
咲良もすぐ彼の後に続いたが、そこから会話らしい会話が交わされることは無かった。
それでも咲良は、沈黙が苦だとは思わなくなった。

落涙ではなく、咲良である自分を意識してくれた。
ただそれだけのことで、嬉しいと感じる。
地震の揺れはいつの間にか消えてしまったが、咲良の鼓動はまるで慟哭のようだった。



END

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