ささやかな戯れ



落涙とは、涙を流すこと。
きっと、綺麗な涙ばかりでは無い。
悲しみや苦しみで流れる涙もあるはずだ。
全てが幸せや喜びによって流れる涙となったら、とても素敵なのに。


『貂蝉が名付けたのだから、良い名に決まっている。大切にしろ』

『はい、勿論です。大好きな貂蝉さんに戴いた名前ですから…』

『ふん、貂蝉の一番は貴様ではなくこの俺だ』


朝には一瞬で消えてしまう夢の中でも、呂布は貂蝉の一番であろうとする。
咲良はそんな呂布の姿を見て、何故か幸せな気持ちになった。



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その日、女官に混じり、蘭華は日が暮れるまで咲良に筆を持たせていた。
たった一日で勉強したぐらいで、読み書きが完璧に出来るはずはないが、咲良は精一杯頑張って、手本を真似て字を綴る。


「蘭華さん、どうでしょうか!」

「そうだねぇ。まあ、お世辞にも上手いとは言えないけど、努力は見て取れるよ」

「へへ、良かった…」


女官達もほっと胸を撫で下ろしたようだ。
いつの間にか、咲良の知らないうちに蘭華は彼女達を従えていて、こうして皆の輪の中心に居るのだ。
それも彼女の人柄が成せる技だと思うと、咲良は自分のことのように嬉しくなった。


「落涙様、そろそろお時間にございます。お召し替えを…」

「え?こんな時間にお召し替えって…」

「…しまった。すまないね、肝心なことを言い忘れていたよ」


女官達がそそくさと咲良の元に歩み寄り、失礼致しますと服に手をかける。
他人に着替えさせられる、そんな現状に咲良ははっと我に返り、自分で…と発言しようとしたが、やめた。
抵抗したら、手のひらにこびりついた真っ黒な墨で皆を汚してしまいそうだったから。


「まったく。あんたは少しぐらい自分を磨くことを覚えたらどうだい?元は良いんだから」

「えっと…意味が分かりません蘭華さん」

「落涙様は周泰様と共に、これより孫権様に謁見されるのですよ」


見かねた女官が柔らかく微笑みながらそう告げるが、咲良はあんぐりと口を開け呆然としてしまう。
心の準備をする時間も無いまま、これから孫権に謁見をしろと言うのか。
しかも、周泰も一緒だと言うのだから冷静ではいられない。
それが何を意味しているのか…、考えずとも、自ずと答えは見えてくる。


「私、こんなにも早く…孫権様の前で、誓いを立てなくちゃならないんですか…?」

「落涙、緊張することはないよ!今はまだその時じゃないからね。今日は、あんたを孫権様の養女とする話しをしたいそうだよ」

「養女…って、私が孫権様の養女に!?」


咲良が驚くのも無理はないだろう。
呉帝の養子に迎えられる…それは孫家の一員になるということである。
落涙を救うための苦肉の策、と言えようか。
身元も知れぬ女が、ただで将軍に嫁ぐことが出来るはずがなかったのだ。


 

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