純真な瞳から



(そうすれば僕は…遠呂智の降臨に乗じて呉を脱することが出来るから…って、それは、そうかもしれないけど…!)


さすがに、彼らの前で遠呂智の名を出すわけにはいかない。
悠生がまさか、このような恐ろしいことを目論んでいたなんて。
遠呂智が降臨したら、沢山の人が苦しむことぐらい容易に分かるはずだ。
それほどまでに、悠生は切羽詰まっているのか。

だが、以前妲己に会ったとき、彼女は咲良の奏でる久遠劫の旋律が、遠呂智を眠らせる子守歌となる…それが真相であると言った。
太公望さえ勘違いするぐらいだ、ならば悠生も間違った情報を得て、こんなお願いをしたのだろう。


「ふ、ふる…?何だよ、あんたが笛を吹いたら、帰れるってのか?俺にはさっぱりだ」

「あ…、いえ…弟は大きな勘違いをしているんです。ただ笛を吹いたぐらいじゃ何も…あれ、」

「落涙殿?どうされました?」

「…続きが無い…?半端なところで途切れているんです」


【呉を脱することが出来るから。
その旋律っていうのは、咲良ちゃんも覚えていると思うけど、】
そこで、唐突に内容は終わっているのだ。
まるで書きかけの手紙をポストに投函してしまったかのように、不自然な終わり方をしている。


「甘寧殿、どういう経緯で黄悠殿から手紙を預かられたんですか?」

「別に、頼むって言われてそのまま…、いや、急に具合悪そうにするもんだから、医師を呼びに走ったんだ。で、その足で此処に来たんだが…」

「え…具合が悪いって…甘寧さん!弟は大丈夫なんですか!?」


甘寧が早合点し、書きかけの手紙を持ってきてしまったことはなんとなく伝わった。
だがそれより、悠生の体調が優れないという発言が気にかかる。
病弱な弟のことだ、環境の変化に慣れず、しかも蜀の友達と引き離され、ショックで窶れているのではないか。
現代に比べ満足な治療も受けられず、効果的な薬も無い、未来には失われた病原菌だって存在しているかもしれないのだ。

激しく動揺し、弟の現状を確かめるべく、甘寧を食い入るように見つめれば、彼は小さく溜め息を漏らすと、咲良の両肩に手を置いた。


「なあ落涙。そこまで心配するなら黄悠に会ってやれよ」

「そ、それは…あの子が嫌がって…」

「あのな…直接嫌だと言われた訳じゃねえだろうが?あんた、本気であいつのこと案じてんなら、強引にでも見舞ってやれよ。それでも姉貴なのかよ!」


ずきっ、と甘寧の言葉が深く胸を刺す。
目を泳がせても、至近距離で顔を見られているために意味をなさない。
故郷への帰還を諦め無双を選んだ、悠生の決意を知った上で、のこのこと顔を見せに行くことなど出来るはずがないだろう。


「…だって…私はもう…あの子の一番じゃない…私はずっと一番だったのに…」


痛ましい顔をする陸遜は、何も言わない。
だが、分かってくれているのだろうか。
弟に会いたいと、咲良が本当の気持ちを最初に打ち明けたのは陸遜だったのだから。

絶えきれず、甘寧を押し返そうとするが、びくともしない。
悔しくて、精一杯の抵抗のつもりで目の前の男を睨み付けるが、どうしようもない。
また、この瞳をする。
逃れられない…真っ直ぐで真剣な眼差し。


 

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