もつれた夢



(うわ、気持ち悪くなってきたよ…!)


ついに、限界を迎えてしまった。
ここ数日の緊張と疲労とが重なり、一気に襲いかかってくる。
いつしか立っていられないほどになり、咲良は壁にもたれるようにして座り込んだ。
目を閉じたらそれが最後、場所など関係なく、咲良は半ば気絶するように夢の中へ誘われた。



「まったく…よく、このような場所で眠れますね…」


半ば呆れたように口にしたのは、陸遜だった。
急ぎ足で、何故か逃げ出すように背を向けた落涙を追って来た訳だが、まさか眠っているとは思わなかったのだ。
膝を折り曲げて、縮こまって眠る楽師の娘を、陸遜は軽々と両の腕で抱き上げる。


(ですが、眠ってくれて、良かった…)


ほっとしつつ、深い溜め息を漏らした陸遜は、落涙を抱きかかえ、ゆっくりと歩き出した。
顔を覗き込めば、乾ききっていない涙が今も頬を濡らしている。
そして、酷く疲れきった表情をしていた。
疲労で倒れてしまったのだとすぐに分かった。

あのような、突然思い付いたような安っぽい約束を交わしただけで、果たしてどれほど彼女を慰められたのだろう。
気の利いた言葉を知らぬ陸遜は、泣いている落涙と出くわした時、つくづく運が悪いと思ったのだ。
彼女の濡れた瞳に映る自分は、異様なほど気持ち悪い作り笑顔だった。
そもそも、人との付き合いが苦手な陸遜は、宴の場にも理由を付けて参加しなかったほどである。


(いえ、今回は正当な理由があったはず……)


と言うのも、苦しい言い訳ではあるのだが。
陸遜はこれまで、孫策の夫人であった大喬の部屋で、彼女の娘と、妹君である小喬と共に居たのだ。

落涙の旋律により、孫策との思い出を懐古し、女性達は夜になっても涙を流していた。
それは、悲しみの涙。
落涙の名は確かに評判の通りであったが、奥方を悲しませる物でしかない。
忘れてしまいたい苦しみを蘇らせる旋律など、人々が好み繰り返し聞きたいと願うものとは結び付かなかった。

しかし…いつしか意味合いが変わった。
小喬が笑い出し、すると大喬も微笑んだ。
陸遜は最初こそ驚いたが、彼女達が笑みを浮かべながら交わす話題は、落涙の奏でる音曲についてだったのだ。
初めて耳にした不思議な旋律は、誰にも触れられないように美しい思い出だけを守り続けてきた、記憶の引き出しを開ける鍵。


(胸を打ち、心を震わせた結果があの涙、ですか…)


涙にも様々な種類があるだろう。
落涙によって流された汚れの無い涙の数々は、宝石のように美しい。

だが、帰りたい、と泣く彼女自身の涙は違う。
その涙を見た陸遜までも、心の臓が締め付けられるほどに苦しく、辛い想いをしたのだ。
思い出してみれば、式の最中も…、陸遜は落涙の旋律を聴いた時と似たような感覚を受けていた。
涙など、流せるはずがなかった。
怒りさえ覚えたのだ、純粋な楽師の娘に。

落涙は狡い人だ、それに、羨ましかった。
感情を偽ることもなく、素直に生きることが出来るのだから。
しかも、その音を通して、多くの人に愛されているではないか。
どうして…、何を悲しむ必要がある。
何が悲しくて、いつも泣いているのだ。


(私の考えは浅はかでしょうか?間違っているでしょうか…孫策殿……)


月が妖しげに輝いている。
その笑顔で人々に生きる希望と勇気を与え続けた彼が此処に居たなら、納得出来る答えを貰えたかもしれないのに。



END

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