昔の夢が蘇る
何を背負っているのかと…、陸遜の唐突な問いに、咲良は答えることが出来ずにいた。
まさかまだ、落涙は間者かもしれないと疑われているのだろうか。
小春を傷付けた犯人であると、少なからず疑念を抱かれているのだとしたら…せめてそれだけは疑いを晴らしたい、と思ったのだが、陸遜の雰囲気はいつにも増して柔らかい。
陸遜の考えが分からず、悪意がまるで感じられない穏やかな視線を向けられた咲良は、困り果ててしまった。
どうしてそんな、子供みたいな顔で見てくるのだろう。
「城下町で初めてお会いした時のことを覚えていらっしゃいますか?私達は初対面のはずなのに、あなたは既に私の名を御存じでした」
「え!?そ、それは…陸遜様は有名なお方ですから…」
「いいえ。私は名が知れるほどの功を立ててはおりません。それに、あなたはこうも仰いました。どうか健康な子を生んでくださいと」
今更、そんな昔の話をされるとは思わなかった。
恥ずかしい記憶ばかり思い出してしまい、どうにもいたたまれなくなる。
あの頃は陸遜よりも、孫策に先立たれた大喬を気にかけていたために、つい無礼な言葉を口にしてしまったのだ。
早くに夫を失った哀れな未亡人に、可愛い孫の姿を見せてあげてほしいと。
「見ず知らずの女性が、何故そのようなことを言うのか、私には分かりませんでした。しかし一つ、夢のような話をするとしたら…、あなたは全てを知っていて、小春殿や、私を含め…皆の幸せを願われていたのではないかと思ったのです」
「全て…ですか?」
「はい。違いますか?」
思わず、その通りですと頷いてしまいそうになるほど、陸遜は自然な流れで問い掛けてくる。
全てを、皆の未来を知っている…だなんて、現実に有り得るはずが無いのに。
「咲良殿…あなたはお優しい人です。だからこそ、皆の幸せを願ってやまないのだと」
「そんな…ことは…」
「…一つ、教えていただきたいことがあるのです。他ならぬ咲良殿に」
落涙に対して長らく疑問を抱き、ついに思っていたことを打ち明けたとなれば、陸遜は何らかの確信を得たのではないかと、咲良は考えた。
陸遜こそ咲良の全てを知った上で問い、気持ちを試しているのではないかと、申し訳無いとは思えども疑わずにはいられない。
しかし、陸遜の明るい焦げ茶色の瞳は揺れ、軽く握られたこぶしもまた、小刻みに震えている。
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