願いを込めて



「あの…落涙様。宜しければ、私共に落涙様の笛をお聞かせ願えませんでしょうか」

「えっ」

「皆、落涙様の音に感涙した身なのです。誰しもを涙させ、微笑ませる美しき旋律を…」


泣かせる、だけではなくなったのか。
女官達は気を使って言っているのかもしれない、だが、以前の生活を考えたら信じられないほど音楽から遠ざかり、もどかしい想いをしていたのも事実だ。
出会ってからまだ、数回しか触れていない新たな相棒・悠久。
巻いていた布を取り、咲良はゆっくりと、その手触りを確かめる。
フルートとは微妙に違った音質であれ、咲良はこの音色を気に入っている。


(こうして音楽を続けられるのも、周泰さんのお陰なんだよね……)


感謝の気持ちは、いっぱいなのだ。
それでも、現実を受け入れるのは困難だった。

咲良は笛を構えてから、ぴたりと動きを止めた。
普通、いきなり演奏を始める訳にもいかないのだが、女官達は好奇心を露わに咲良を見つめている。
暫し悩んだ咲良は、結局、演奏をしながら唇を馴らすことに決めた。
速度の遅い曲はごまかしがきかないが、太く深い音を長く伸ばすことが、一番のウォーミングアップだと思っている。


(切ないけれど、美しいメロディを…)


息を吹き込めば、一度きりの音が生み出される。
同時に、すうっと満たされていく。
こうして笛を奏でている間だけは、目の前にある音楽のことだけを考えていられる。
だけど、今日の咲良は音楽だけに集中していられなかった。
どうしても、これからのことを考えてしまうのだ。


(私は…周泰さんの妻になっても、良いのかな…)


心が揺れると、音もつられて震えてしまう。
私の想いは、誰に向けられていた?
少なくとも周泰が一番ではなかったはずだ。
形式的に夫婦になり、それから彼を愛することも可能だが、何かが違うような気がした。

いつか悠生と一緒に故郷へ帰るつもりでいたから、現実とは異なる無双の世界で生きていく決意など、固まっていなかった。
それでも、この世界は既に現実となり、自分も無双の世界に生きる登場人物の一人となっているのだろう。
悠生が蜀で生きると決めたように、咲良もまた、決断をすべき時なのかもしれない。
迷いを断ち切れない咲良の旋律は音色が美しいだけで、きっと聞き手にも複雑な想いを抱かせてしまうだろう、そう思いながら、最後まで繊細な音を響かせた。


「…お見事ですね」


旋律が止み、余韻が消え去ると共に、そんな感想が耳に飛び込んできた。
はっと其方を見たら、咲良の音に聞き入っていたため一歩遅れて頭を下げた女官の向こうに、優しい微笑みを携える陸遜が居た。


「陸遜様!?」

「あなたの演奏が聞けるだなんて、今日の私は運が良いようです。落涙殿、少しお時間をいただけませんか?」

「そ、それは、構いませんが…」


 

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