曇りなき愛の形
「…これだから、男というものは…」
「蘭華さん…?」
それまで傍観を決め込んでいた蘭華が、ふと突然口を開く。
咲良は彼女の声の低さに驚いた。
普段の蘭華の陽気さは全く感じられない、氷のように冷たく透き通る声だった。
「この娘の母親代わりとして言わせてもらうが、お前の一番は落涙ではないのだろう?その命を捧げた御仁が居るはずだ。それでも、お前は落涙を独占する権利を欲するのか?」
「…それは…」
「ら、蘭華さん…?」
口調が、まるで別人のようだった。
蘭華が誰かに敬語を使う姿は見たことがないが、世を渡り歩き、世の仕組みを知り尽くしている蘭華が、周泰相手にここまで上から物言えるものか。
痛いところを突かれたらしい周泰は、反論することが出来ず、固く口を閉ざしてしまう。
今、周泰の中には、誰が居るのだろう。
彼が最も愛する人とは、妻に迎えたいという落涙ではなく、生涯かけて尽くすと忠誠を誓った、孫仲謀なのではないか。
「…余計なことを言ったね。悪かったよ」
「……、」
「落涙。今日はもう遅い。ゆっくり休むんだよ?また明日、会いに来るからね」
「あ、ありがとうございました!」
それまで緊迫した雰囲気を神妙な面もちで見守っていた使用人が、ずんずんと出口に向かう蘭華に付き添っていく。
すると、二人きり取り残されてしまった訳だが…、周泰は先程の盛大な愛の告白など忘れてしまったかのように、咲良を見て冷静に言った。
「…部屋を…用意させてありますので…」
「あ…はいっ。ありがとうございます」
「……、」
どう、返事をすべきなのだろうか。
周泰との婚姻により、咲良の罪を帳消しにすることが出来るという。
だから、個人的な理由で…身勝手な感情を優先して、首を横に振ってはいけないのだ。
この世界を生きたいと願うなら、尚更のこと。
周泰は落涙を好きだと言ってくれた。
それはとても尊い気持ちである。
相手を尊敬し、慈しみ、心から大事に思わなければ…、人前で堂々と、貴女が欲しいだなんて告白出来るはずがない。
じゃあ、私は?
一度だって彼に恋愛感情を抱いたことがあっただろうか?
「…待っています…、貴女が俺を…認めてくださるまで……」
「周泰さん…」
本当に、何も知らなかった。
三国志演義でも、ゲームでも…、物語の登場人物でしかなかった彼が今、最も近い男になってしまったのだ。
END
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