曇りなき愛の形



黄蓋に連れられ、咲良が初めて足を踏み入れた其処は、主も滅多に帰らないという周泰の邸である。
家主が静かな周泰だからか、案内された部屋は異様なほどの静けさに包まれていた。


「落涙殿。わしは最期まで祈り続けましょうぞ。どうか運命を受け入れられ、幸せになられよ」

「黄蓋様……」

「む…、年寄りはすぐ雰囲気に流されてしまいますな」


黄蓋は慌てて顔を伏せ、瞳が濡れた理由を年齢のせいにする。
もう二度と会えない訳ではないのに、大袈裟で…本当に優しい人だ。
短い間ではあったが、世話になった主に、咲良は深々と頭を下げた。
こんな私の、幸せを願い続けてくれた人。
本来の意味で黄蓋を安心させるためには、まず、目の前の壁を突破しなくてはならない。


(周泰さん…、会って話をしなくちゃ。でも…顔を見るのが怖い…)


役目を終えた黄蓋が退室し、広い空間に一人取り残された咲良。
多忙な周泰が孫権の傍を離れ、邸に今日に限ってわざわざ帰宅するとは考えにくい(彼にとってはそんな程度、の出来事かもしれない)。

無意識に呼吸の音を押さえ込んでいた咲良だが、急に…、言いようのない孤独感に襲われる。
いつだって、孤独とは無縁だった。
落涙のときは音を聴きに集まってくれた聴き手が、咲良のときは貂蝉や蘭華が傍に居てくれたのだから。
もし周泰が帰らなかったら、この部屋にずっと閉じこもっていなければならないのだろうか?
扉の鍵は開いているというのに。
自由でいて、縛られている…その事実が気持ち悪い。
この世の果てに取り残されたような恐怖に身震いし、咲良は人を探そうと、案内された部屋を抜け出そうとした。


「お待ちください!奥方様!」

「っ!?」


咲良は息が詰まりそうになった。
若い使用人が咲良を引き止めようと、彼の妻として落涙を呼んだのだ。
周泰の夫人。
楽師の娘がその立場にあることを、皆が簡単に認めるはずがないだろうに。

それ以上移動をすることも許されず、咲良は服の裾を掴み、俯くばかりだった。


「私は…そんな…」

「さあ、お部屋にお戻りください」


ぶんぶんと、首を横に振る。
使用人を困らせていることなど百も承知だが、今は…寂しい部屋に戻りたくなかった。
周泰を待つなら、入り口に最も近い場所で(すぐにでも、告げたい言葉が生まれるように)。
恐る恐るそれを告げれば、使用人も全力で拒否する。
これではいつまでも話が進まない。


 

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