遥か遠くの陽
(び、びっくりした…。ずっとあのままだったら、緊張で死んじゃいそうだったよ…!)
孫権の視線から外れたことで、ほっと肩をなでおろし、咲良は漸く緊張から解放された。
いくらか冷静になって、周囲に視線をめぐらせてみると、自分の知っている顔が沢山だということに気が付く。
少し余裕が出てきた咲良はこっそりと、広間に集まった人々を観察し始めた。
孫権が周泰に絡んでいる間、退場を促されるまで無闇に動けなかったのだ。
そう言えば、陸遜はどうしたのだろう。
彼も宴に参加しているはずだと思い、辺りを見渡したが、陸遜の姿は見受けられなかった。
今日の演奏を聴いてくれたなら、是非とも感想を聞きたかったが、此処に姿が見えないのでは、難しそうだ。
「ねえあなた、年はいくつなの?」
「しょ…尚香様!!わ、私は十七歳です!」
「やっぱり!そのぐらいじゃないかと思っていたのよ!」
待っていたとばかりに声をかけてきたのは、孫策・孫権の妹にあたる、孫尚香だった。
ぱっちりとした大きな瞳を輝かせ、尚香は興味津々に、招かれた楽師を見詰める。
咲良は目の前の美少女に見取れていた。
憧れ…と言うほど大袈裟ではないが、尚香は大好きな無双武将の一人である。
彼女と話が出来るなんて、身に余る光栄だ。
「驚いたでしょう?酔った兄さまの発言はだいたい冗談だから、気にしないでね」
「そ、そうなんですか…?」
「ふふ、あなたのような人が私の義姉様になってくれたら嬉しいんだけれど!」
「めめ、滅相もございません!」
今にも飛びつかん勢いで、尚香は咲良に絡んでくる。
彼女もまた、孫権と同じく多量の酒を飲んでいるようだ。
法要の後とは思えぬ賑やかさであるが、しめやかに御霊を慰めるより、こうやってどんちゃん騒ぎをする方が、天国にいる孫策も喜んでくれるのだろう。
(みんな、笑っているから…良かったな…)
宴に重苦しい雰囲気は似合わない。
涙の後は、満面の笑顔が見たいから。
誰かに、音色を聴かせてくれと頼まれる。
すると、咲良は緊張も眠気も忘れ、喜んでリクエストに応えた。
法要の時とは異なる、落涙の明るいフルートの音色は、宴がお開きになるまで途絶えることはなかった。
END
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