幸せを盗る




今でも、戦場に立てば足が震えてしまうことがある。
陸遜はまだ若いから仕方がない、と言われてはおしまいだ。
軍師として同行を許されている以上、仕方がないで済まされる世界ではない。
己の采配で兵が動き、雨のように血が流れ…数多もの命を簡単に奪っていくのだ。
緊張感に呑まれぬよう、吐き気がこみ上げても、足を踏ん張り、前を向いていなければならない。

だが陸遜は未だかつて、これほどの焦りを感じたことは無かった。
足がもつれ、何度も転びそうになりながら、陸遜はわき目もふらずに走り続ける。

先程、小春が何者かに襲われ、重傷を負ったと言うのだ。
まさかと、初めは耳を疑った。
彼女は城から出たことがなく、一日中、多くの見張り達に守られた奥の部屋で過ごしていると言うのに。


「小春殿!!」


最悪の事態を想像し、陸遜は焦るあまりに、病室の扉を乱暴に開けてしまった。
椅子に座っていた大喬が、びくりと肩を震わせる。
乱れた息を整える暇もなく、陸遜は大喬への挨拶も忘れ、寝台の上でぐったりと眠る小春の元に駆け寄った。
彼女の小さな手を握りしめれば、その冷たさに驚かされた。


「大喬殿、小春殿の容態は?医師は何と!?」

「落ち着いてください。出血はありましたが、肩に軽いかすり傷を負っただけのようです。先程まで意識もはっきりしていました。ただ…」


普段の沈着な陸遜からは想像が付かないほどの剣幕に、圧倒されながらも、大喬は静かな調子で答える。
肩に施された治療の痕を見る限りでは、確かに、騒ぎ回るほどの傷では無い。
だが小春は幼く、戦場とは無縁の姫君である。
小柄な方である陸遜の片手だけでも、力を込めたら簡単に壊れてしまいそうなほど儚い人だ。
生まれて始めた与えられた外部からの痛みに、果たして耐えきれるものなのだろうか。

尚香に度々忠告されなくとも、小春が寂しがっているのはよく分かっていたはずなのに。
彼女は毎夜のように陸遜の無事を祈り、帰還を待ち望んでいたというのに、自分は顔を見せてやることもしなかったのだ。
辛い想いをさせてしまった。
陸遜は不甲斐なさに唇を噛みしめる。
これでは…小春の夫となるものとして、失格だろうと。


「実は…小春に怪我を負わせた原因であると、その場に居た落涙様に、責任の全てが押し付けられてしまったのです」

「な…っ…!?それは本当ですか?」

「既に落涙様は別室に移され、軟禁状態にあると聞きます。そのようなこと、小春は望んでおりませんのに。落涙様を慕う娘は、声が掠れるほど泣き、疲れ果てて眠っているのです」


そう、落涙が…小春の体に傷を残した、その責任を追求されているというのだ。
一国の姫に傷を負わせた罪は重い。
まず、極刑は免れない。
しかし、ただ同じ室内に居たからと言って、あの楽師に罪を擦り付けて良いはずがないだろう。
誰が見ても微笑ましいぐらいに、落涙は小春を可愛がっていたではないか。

身を挺し、刺客から姫を庇わなかった?
傍に居ながら、危機を救えなかった?
それを、戦う能力の無い少女に求めること自体が、間違っている。


「…大喬殿。小春殿をお願い致します」


小春の柔らかな髪や頬、まだ触れたこともない唇をそっと撫でた。
落涙への理不尽な仕打ちは、小春の苦しみへと繋がるのは明白である。
何としてでも、止めなければならない。


 

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