心を喰らう蛇



「へえ、あなたがそれを言う?勝手に旋律を危険視して、歌を知る小覇王に手をかけたくせに!」

「……失せるが良い。私は機嫌が悪い」

「きゃっ!危ないわね!」


小覇王…?とその名を反芻する咲良の声を、太公望は聞き逃さなかったようだ。
妲己を見据える太公望の釣り竿の先から光が溢れ、衝撃波となり、近くの壁を壊した。
爆破音と共に激しく床が振動し、部屋の一角に大きな穴が空く。


「良いわ。今更、私達を止められるはずがないんだから!」


妲己は舌を出し、童のような暴言を吐く。
くるりと身を翻す姿は、天女とも見紛う美しさなのに。
小春と咲良に視線を巡らせ、だが何も言わずに、煙と共にその姿を消した。


「…小覇王に、手をかけたって…」

「過去の過ちを否定はせぬ。しかし、貴公の笛を破壊したことも、春の娘の父を死に至らしめたのも…全ては世を護ろうとした結果だ」

「か、勘違いじゃ済まされないでしょう!?笛とは訳が違うんですよ!小春様は…孫策様の顔も知らないで…」


妲己は太公望が、孫策の命を奪ったことをほのめかしていた。
小覇王の…孫策のものであった子守歌。
歌詞とメロディの両方を知る孫策は、当時の仙人達には危険極まりない存在であった。
だから、殺された?
そんな身勝手な理由で、親友や、愛する妻子と引き離されたというのか。


「小覇王とて、人の子のために尽力していた干吉という者を、民の心を惑わす存在として処刑したであろう」

「それは…」

「あれほどの仙人に手をかけたのだから、此方の都合で死を与えられても文句は言えまい」


三国志演義の干吉は、幻術師として登場するはずだ。
だが、干吉もまた、仙人だったのだ。
その仙人に手を掛けた孫策だからと、彼を殺すことにも躊躇いが無かったらしい太公望は、今も罪悪感らしい感情を抱いている様子が無かった。


「さて…これからのことだが。詩の意を正しく理解しなければ、貴公が旋律を奏でたところで意味は成さない。妲己は暫く現れぬだろう」

「太公望さんは…小春様に詩を聞き出すつもりですか?やめてください。これ以上、小春様を傷つけないでください…」

「…最早、手遅れだ。遠呂智の降臨は止められまい」


苦虫を噛み潰したように太公望は語る。
孫策の死を悔やんでいるのでは無い。
己の失態を恥じ、完璧な経歴に傷が付くことが嫌なだけなのだ。

咲良はどうしても、太公望を好きになれなかった。
本当は悪い人ではない、ただ自尊心が高いだけだと言うことも分かっているが…小春のことを思えば、太公望には疑問しか抱けなくなる。


「春の娘が詩を取り戻せず、貴公が笛を流暢に奏でる力を失ったとしても、貴公の存在は脅威となろう」

「…だから…私はどうすれば良いんですか?」

「いずれ、私の仲間が迎えに行くだろう。時が来るまで、別れの挨拶を済ませておくことだ」


この人は…馬鹿なことを言う。
咲良は無視を決め込み、小春をぎゅっと抱き締めた。
彼女の耳元で、ごめんなさい、と呟く。
小春から返事は無く、顔は真っ青で、握った手も冷たくなっていく。

音も無く太公望の影が消えた途端、扉の向こうから騒がしい足音が聞こえてきた。
小春の私室で起きた異変に漸く気付き、見張り達が駆けつけたのだ。
室内には咲良と小春の二人だけのはず。
そう信じている者達は、血にまみれ負傷した姫を見て、彼女を抱く楽師に疑念を向けるのだった。



END

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