遥か遠くの陽
「落涙よ、見事な音曲であったぞ。お前の旋律は確かに兄上に届いたであろうよ」
「そ…孫権様…、そのような勿体無き御言葉…ありがたき幸せにございます!」
自らが口にした堅苦しい敬語に違和感を覚えたが、緊張で声まで震えてしまい、いちいち気にしていられない。
広間では、大々的な宴が開かれていた。
呉の若き王・孫権。
透き通る海のような碧眼が美しい。
酒を飲み微かに酔っているのか、孫権の頬は赤く染まっている。
彼は酒好きとして知られているが、だからと言って強い方ではなさそうだ。
目尻が下がり、にこにこと微笑む孫権はとても機嫌が良いらしく、また笛の音を聴かせておくれ、と嬉しいお言葉を戴けた。
最近覚えたばかりなのでぎこちなく拱手し、軽く頭を下げた咲良は、じっくりと孫権の顔を見ることなど出来ず目を伏せていたのだが…
「して、先程の曲。聞かぬ旋律であったが、題は何と言うのだ?」
「はい。あの曲は……"花咲く季節"といいます」
「ほう…美しい題であるな」
先程、咲良がたった一人で奏でたものは、"THE BLOSSOMING SEASON"という題の短い一曲であった。
ゲームに使われているBGM、特に幕舎や辞典のゆったりとした曲は壮大で美しく、実に素晴らしいものであった。
咲良は暇な時間を見つけては楽譜を作り、練習の合間などに演奏して楽しんでいたのだ。
今日は、ありったけの想いと願いを込めた。
孫策と大喬、咲良なりに、二人のあたたかな幸せを想像して、心を込めて、旋律を奏でた。
「ところで落涙、私の妾にならぬか?お前のような楽師であれば歓迎致すぞ!」
「はい…?」
「…孫権様…」
孫権の一言に、咲良はぽかんとして首を傾げる。
隣にいた長身の男、周泰が即座にたしなめたが、孫権は何かが可笑しかったらしく大笑いしながら、周泰の肩をばしばしと叩くだけだった。
平常時の彼は聡明でしっかりとした男だし、酒に酔っていなければ初対面の娘に軽々しく求婚を申し出たりはしないだろう。
孫権は無意識に弱さを内に隠してしまう。
悲しみを紛らわせるために、わざと酒を煽ったのかもしれない。
気分が良いのか意味も無く笑い続ける孫権の代わりに、周泰が此方を見て申し訳なさそうに頭を下げる。
彼と目が合ったことに驚いた咲良は、首を横に振り、慌てて会釈をする。
結果的に、周泰に助け舟を出されたのだが、孫権を前にしてお礼なんて言えるはずもなく、咲良は困ったように笑うのが精一杯だった。
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