月の光と共に



静かな夜に、咲良は耳を傾けていた。
遠くから風に乗って流れてくるのは、宴を楽しみ勝利の喜びを分かち合う人々の声。
本当なら、祝宴の場で音曲を披露したかったのだけれど。
こんな日に、暗い部屋に籠もり、針と糸で繕い物を仕上げる…なんて、立派な女官らしくて良いではないか。


(小春様、どうか素晴らしい演奏を)


楽師が黄蓋の女官となってから、今が乱世であることをも忘れてしまうぐらい、嘘のように穏やかな日々が続いていた。
そして今日、星がちらつき始めた夕刻に、蜀に勝利した呉軍が、建業城へと凱旋したのである。

大切な友人たちの無事を確認しようと咲良も城門まで出迎えに赴いたのだが…、とても近付ける状況ではなかった。
行列は途切れることなく城へと続き、戦で活躍した将達は孫権に謁見し、労いの言葉を戴くのだ。
常々目立っている甘寧や凌統の姿は容易に見つけることが出来たが、尚香や…陸遜は何処に居るか分からなかった。


「……あ」


部屋の端で、ゆらゆらと輝いていた灯りが消えてしまう。
油が切れてしまったのだ。
作業を中断した咲良は暗闇の中、目を凝らして、新しいものと取り替える。

…宴に、参加すべきだったのだろうか。
これまで、陸遜のために音曲を披露するのだと努力していた小春や、主人である黄蓋にも誘われたが、咲良は他に仕事があるからと断った。
だがそれは、適当な言い訳でもある。
今の自分は、弟のことしか考えられない。
皆の無事を喜ぶよりも、弟との再会を想像し、夢を見ることしか出来ないのだ。


(ただ、呂蒙様の容態が心配だけど…、戦功者の大都督様に話し掛けられないもん)


言い訳に、言い訳を重ねる。
弟のことばかりという訳でもないだろう。
早く皆の元気な顔が見たい。
ちゃんと生きていることを、確かめたい。

しかし、以前よりも皆との身分の差が明確になってしまった今となっては、簡単に出来ていたことも、いちいち臆病になってしまう。
大喬の客人として扱われていたから、皆と真向かって会話することを許されていた。
楽師でなくなってしまった自分が、宴に参加する理由も無い。
それをよく理解しているからこそ、咲良は黄蓋の女官として、目の前の仕事に専念するだけだ。


「あれ…鈴の音?」


遠い世界を思わせる、宴の残響の中に、ちりん…と小さく響いた鈴の音を、耳の良い咲良は聞き逃さなかった。
フルートを失い、ケースに括りつけていた鈴は居場所を無くして卓上に置いてあるが、それが転がった訳ではない。

気になって窓を開けてみれば、ふわりと冷たい夜風が顔を撫でる。
咲良が窓の外の暗闇を見下ろすと…、真っ直ぐな瞳と視線が通った。


「よお!久しぶりだな」

「かっ…甘寧さん!?こんなところで何を…」


子供のように人懐っこい笑みを浮かべ、咲良に向けて手を振る男…甘寧だ。
咲良が驚くのも無理はないだろう。
彼もまた、戦で活躍した英雄なのだ。
彼が宴に参加せずふらついて居るなんて、非常識にも程があるだろう。


 

[ 141/421 ]

[] []
[]
[栞を挟む]



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -