夢の底で死なせて



「誰にだって、幸せになる権利はあるはずよ。勿論、阿斗にもね」

「ふん!馬鹿げている」

「ええ、馬鹿な話よね。私達は立場の上に成り立つ役目がある。使命を果たすことが、宿命だと思っているわ」

「では、尚香が言う幸せとは何だ?私には分からぬ!民を護るため兵を犠牲にし、それで幸せを得る者は居るのか!?」


それこそ、道理だ。
全ての人間が幸せになれる道など、あるのかも分からない。

阿斗が言っているのはきっと、劉備のことだ。
劉備に限らず、国を治め頂点に立つ者は常に、誰かに恨まれている。
民のためを想い尽力をする理想とは、それは多くの将兵を犠牲とする、言うなれば不安定で極端な思想なのだ。
だが、嫡子が父親に不信感を抱く事実に気付いてしまった以上、放っておくことは出来なかった。
血が繋がらぬとは言え、阿斗は…尚香の可愛い息子なのだから。


「弱い人々が血と涙を流す世界なんて、それこそ悲しいでしょう?国を護らなければならない立場にある者として、黙っていられない現実なのよ」

「乱世を終わらせるためには、多少の犠牲は仕方がないと?」

「私はまだ未熟者だから、あなたを納得させられる確実な言葉を口には出来ないわ。だから、答えを探すために戦場に立って、この目で悲しい光景を見続けていたの」


本当に、阿斗は賢い子供だと思う。
思わず尚香も答えに詰まるほど、痛いところを突かれる。
聡明さは宝だが、一歩間違えば、危うい。
心に穴を開けたまま大人になれば、阿斗自らが国を滅ぼすほどの脅威になるだろう。

だから、止めなければ。
憎しみが膨れ上がる根元を断つことが出来ないのならば、勢いを失わせよう。
他人の言葉に耳を貸さず、自らが思うがままに国を操り疲弊させ、民を苦しめるような…暗愚な大人には、育ってほしくなかった。


「阿斗…あなたは、大切な人のために戦いなさい。国のため、民のため、…それよりも大切な、愛する人のために」

「あ、愛などと…!戯れ言を…」

「私は、確かに幸せだったわ。愛する人達と共に過ごした日々は、いつまでも変わらずに美しいままだもの」


それだけは、自信を持って言える。
本当に、幸せだった。
だから、此処でも幸せになれる気がする。
いつか終わりが訪れる、限られた幸せであっても…それでも、生きていかねばならないのだから。


 

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