遥か遠くの陽
「ええっ!?私がお城で演奏を…!?」
城からの遣いが、蘭華の店に訪れたのは二日ほど前のことである。
それは、突然の申し出だった。
落涙の評判を聞いてのことか、蘭華の店の楽師達を集め、前皇帝・孫策の法要のために曲を披露せよと命じたのだ。
(もしかして、周瑜…様が私を…?)
先日の陸遜の言葉を思い出し、咲良はまだ見ぬ美周郎を恨んだ。
初めは当然、無理だと断った。
しかし蘭華は二つ返事で承諾してしまう。
何事も経験だから、といつもの調子で諭されるが、心の準備をする時間さえ与えられなかったのだ。
さすがに店は閉められ、蘭華や楽師の少女達は咲良につきっきりで、当日披露する孫呉の音曲を教え込んだ。
落涙の笛がメインとは言え、独奏する訳ではなく、皆が他の楽器でサポートしてくれる。
それを聴いて少しは安心したのだが、咲良は緊張のために、一睡も出来なかった。
(孫策の法要なら孫権だって参加するでしょう…?偉い人が沢山居るのに…そんなの、無理!!)
法要の当日、城に招かれた咲良と少女達は、あてがわれた控え室で正装に着替えたり、調律を行っていた。
咲良は蘭華に化粧をしてもらっていたが、あまりに緊張しているために声も出ず、じっと一点を見つめていた。
これから咲良が顔を合わせることになるであろう孫権は、一国の頂点に立つ皇帝なのだ。
言うなれば、大統領や総理大臣相手に演奏を披露するようなものではないか。
「咲良、そう思い詰めるんじゃないよ」
「…蘭華さん、私、怖いです。私みたいな子供の演奏を望むなんて、どうして…」
「咲良は自分に自信が無いんだね?」
「あ、当たり前ですよっ!」
もし、失敗したら?
自分のせいで、大切な演奏が滅茶苦茶になってしまったら?
演奏前に、ここまでブルーな気持ちになるのは生まれて初めてのことだっだ。
咲良は、コンクールは結果を競い合うものではなく、楽しむものだと思っている。
ソロであってもアンサンブルでも、まずは自分が楽しまなければ、聴き手を感動させることは出来ないと、咲良はよく知っていたはずなのだ。
「落涙の音を聴いて涙した人達が、嘘泣きをしていたとでも言うのかい?」
「それは…」
「あんたは素晴らしい楽師だよ。自分に誇りを持つんだ。お空にいる孫策様をも泣かせるつもりで演奏してくること!良いね?」
少し痛いぐらいの力で蘭華に髪を撫でられて、咲良はやっと肩の力を抜くことが出来た。
あの孫策を泣かせるなんて無謀だ。
でも、そのぐらいの意気込みがなければ、高い空まで旋律が届くはずがない。
こうしている間にも、式典は進んでいる。
部隊袖に立った咲良は、フルートを手に、深く息を吐いた。
その瞬間から、咲良は落涙となる。
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