夢の底で死なせて



「ちょっと…!大人しくしなさい!」


幼子相手に本気で叱る訳にはいかない。
やんちゃ過ぎるのも気になるが、もしかしたら、誰かの子息かもしれない。
尚香は落ち着きがない少年を捕まえると、適当な布で顔の汚れを拭ってやった。

素直に目を瞑り、されるがままになる子供。
よくよく見れば、綺麗な顔立ちをしているではないか。
幼いゆえ頬はふっくらとし、唇も健康的な赤、睫も長く愛らしい。
じっと見つめていたら、視線を感じた少年は、黒々とした瞳に尚香をうつした。


「私は尚香よ。あなた、お名前は?」


怖がらせないように笑みを浮かべ、尚香は名を尋ねる。
すると少年は一瞬間を置き、口を開いた。


「…阿斗」

「阿斗…って、うそ、玄徳様の!?」


素っ頓狂な声をあげる尚香を見て、子供…劉備の息子(尚香の義子に当たる)、阿斗はカラカラと高い声で笑った。

婚儀を終えて早くもひと月が過ぎている。
これまで顔を合わせる機会は無かったが、まさかこのような形で出会うことになるとは、思いもしなかった。


「じゃあ、あなたは私の息子になるのね!なんだか不思議。年も、それほど離れている訳じゃないのに…」


言いながら、髪に絡まった砂埃を静かに払ってやる。
兄弟か、使用人か、親しい者と追いかけっこでもしていたのだろう。

父からお転婆、だとかじゃじゃ馬などと称された尚香も、幼い頃、悪戯好きの孫策と城内を走り回り、騒動を起こしては、周瑜や孫権に怒られていた。
今も忘れない、幸せな思い出の一つだ。


「…よく笑っていられるものだ。計略に使われた姫が、父上を恨まずにいられるのか?」

「え…?」

「この婚姻に幸せなど約束されない。そなたは傷付き、朽ち果てる道を歩いているのだぞ?」


幼い外見には似合わない、大人びた物言いをする阿斗に、尚香は目を丸くする。
計略のために利用されただけなのだから、愛されることはないと、断言されてしまった。
それを分かっているくせに、どうして笑っていられるのだ、と阿斗は至って真面目に尋ねている。

流されるように運命に身を任せた尚香を軽蔑しているようにも聞こえるが、阿斗の声からは、僅かながら哀れみが感じ取れた。
泣いている訳ではないのに、尚香は阿斗が震えているように見えたのだ。


「阿斗…と、呼んでも良いかしら?」

「…構わぬ」

「私のことは、そうね…義母上もいいけど、尚香と…呼んでくれる?」


少し躊躇われたようだが、阿斗は小さく頷いてみせた。
早くに母を亡くしたらしく、甘え方を知らない阿斗だが、元来、子供は甘えたがりに出来ているものだ。


 

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