ひそかな祈り



まさか結婚の話をされるとは思わなかったが、そう断言されると、恥ずかしいやら嬉しいやら…、咲良は困ったように照れ笑う。

黄蓋の女官となってから、毎日忙しいせいか時が過ぎるのが早く感じる。
今までが何もしなさ過ぎたのだ。
小春への笛の指南は一日に一時間程度、他にやることなどほとんど無かったのだから。


「ところで落涙殿、これを見てくれませぬか」

「これは…、か、漢字ばっかり…」


黄蓋が差し出した書簡のようなもの…達筆な字がずらりと羅列してあり、咲良に解読することは困難であった。
あたふたする咲良を見かね、黄蓋がそれを解説してくれる。


「わしが、孫策殿から戴いた文なのです」

「孫策様から…?」

「懐かしく思い、久しぶりに読み返していたら、どうも気になる一文を見付けましてな」


孫策からの、手紙。
何よりも、この習字の見本のような文章を書いたのが孫策だということに驚いてしまった(勝手ながら、字が下手なイメージがあった)。
黄蓋が指で示した箇所を見るが、目を凝らしても、何と書いてあるかは分からない。
困り果てる咲良に、黄蓋は「孫策殿の字には癖がありますから」と苦笑しながら言ってくれたのだった。


「此処にはこのように書かれております。『盤古再臨の時、悠久なる者、道を想像せし。涙を名に持つ者、道を創造せし。彼の者等が会い見えし時、久遠劫の旋律で世の静寂を取り戻さん』と」

「ばんこ?くおん、ごう?え、えっと…意味が、よく分からないのですが…」

「わしも、これを戴いた当初はさっぱりでした。何より、詩も嗜まない孫策殿が、このような堅苦しい文章を書くものかと」


盤古再臨の時、涙を名に持つ者。
そして、久遠劫の旋律。

孫策が亡くなり、もう長い年月が過ぎている。
黄蓋が孫策の書き記した手紙の内容を咲良に伝えようと決めたのは、涙と旋律…その二つの単語から、楽師であった落涙を思い付いたためだろう。


「孫策殿は最後に『後のことは頼んだぜ』とお書きになられたのです。もしこの文が、いずれ落涙殿と出会うわしに託されたものだとしたら、孫策殿は未来を予期し、危惧していたのではないかと思えて…」

「私が、この手紙で示された人物だとすれば…孫策様はずっと昔から私のことを…?」


悠久を名乗る者に旋律を授かり、その音が世界の静寂を取り戻す。
その"静寂"とは何を示しているのであろうか。
それは人々の声が失われる、破滅への道か…、はたまた戦の無い、地上から武器の音が消えた後の平穏な日常を表しているのか。

そこで、咲良は太公望のことを思い出す。
太公望が強引にフルートを壊したのは、孫策の遺言と同じ考えを抱いてのことだったのかもしれないと。
恐らく、静寂を取り戻すという久遠劫の旋律を演奏させないために。
いつの日か、その音楽を奏でることになる咲良が、つまり、悪い方の意味での静寂を…、世を疲弊させる原因となると知り、未然に防ごうとして…?


 

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