焦がれる想い



「…楽師を…辞められるのですか…?」

「いえ、辞めると言うか…。もう一度楽師を目指すにしても、途方も無い時間と資金が必要になります。ですから、今は新しい仕事を見つけたいんです」


笛を失って、無くしたものは、仕事や居場所だけではない。
音楽で得た思い出も、一緒に消えてしまった。
フルートの旋律によって鮮やかに思い出せていた、幸せだった頃の記憶が、曖昧なものになっていく。
忘れたくないと思っていても、忘れなければ、この世界で生きていくことは出来ないのだろうか。


「やっぱり、そう簡単には雇ってもらえませんか…?私、不器用ですし…女官の仕事って、器用じゃなくちゃつとまりませんよね」

「…そのようなことは……ですが、あてがありますので…」

「あ、ありがとうございます!」


何もかも、周泰に頼りきってしまうが、咲良は道が開けたことに安堵していた。
しかし、周泰がまだ何か言いたげだったので、咲良は視線だけで次の言葉を促す。
すると周泰は唐突に、少々乱暴に立ち上がったので、びっくりしてしまった。

その瞳からはなかなか感情が読み取れない。
だけど、空気が静かに震える。
そうして一度きりの音が、生み出される。


「…落涙様は…俺を、大嫌いだと…」

「え?あれ…す、すみません。言ってしまいましたね。あの時は感情的になっていて、失礼なことを…」

「…では、本心では無いのですね…」


かっとなってつい口にしてしまった暴言は、咲良が思う以上に周泰を悩ませ、傷付けていたようだ。
今更ではあるが、咲良は謝罪をし頭を下げ…、再び顔を上げて周泰を見た時、息が止まりそうなほどに驚いてしまった。

周泰が、笑っている。
完璧な笑顔とは言いがたいが、普段仏頂面の彼からは想像出来ないほどの、優しい微笑みを浮かべていたのだ。


(そんな顔も、出来るんだね)


出来ればいつも、笑っていてほしい。
周泰にとってそれは、無理な相談だろう。
だが、やっと周泰と心が通じたような気がして、咲良は彼の笑顔を尊いものに思うのだった。



END

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