焦がれる想い




夜も更け、静けさに包まれた城内に響き渡ったのは、己が駆ける足音だった。
回廊を走っていたのは、周泰だった。
見張りの兵士以外は床に就いている時間帯ではあろうが、構っていられなかった。


「…っ…」


唯一、明かりの灯っていた病室の前に立った周泰は、じっと、穴が空きそうなほどに扉を見詰める。

落涙が何者かに襲われた、と見回りの兵から報告が来た瞬間、心の臓が止まりそうになった。
その兵士は、周泰が落涙の護衛から外されたことを知っていたものの、伝えるべき事柄だと判断して訪ねてきたようだ。
詳しく聞けば、落涙は気絶していただけで目立った怪我も無いが、彼女の銀の笛が無惨にも破壊されていたという。


「…失礼する…」


意を決して戸を叩き、室内に足を踏み入れれば、年老いた典医が驚いたように目を見開いた。

やはり黙って会釈し、周泰は寝台に寝かされた落涙を見下ろす。
顔色は悪く、苦しげに眉を寄せ…その寝顔は魘されているようにも見えた。
恐ろしい想いをしたのだろう。
目の前で、笛を壊される様を見せられた落涙が負った心の傷は、相当のものだ。

…危機感の無さを咎めても、今更、過ぎたことは仕方がない。
だが、周泰は激しく後悔していた。
独りで、出歩かせるべきではなかった。
護衛を外されたからと言って、落涙の傍を離れたことを悔やまずにはいられなかった。


(…あれは…)


目に付いた物は、枕元に置いてあった、色褪せた鈴である。
何処かで見たことがあると、思い出してみれば、それは確かに甘寧の鈴であった。


「ああ、その鈴は、落涙様が手にしておられたのです」

「……、」


典医の言葉に、今度は周泰が驚いていた。
同時に、喩えようのない重苦しい何かが、胸の辺りに渦巻く。

何故、甘寧なのだ。
甘寧と落涙が懇意な仲であることは、ある程度は知っていた…つもりだが、未だに納得出来ない自分が居た。

甘寧の腕を認めていない訳ではないのだ。
粗野だが武芸は神懸かり的である甘寧が、孫呉に欠かせない存在であることは間違いない。
周泰も彼と似たような過去を持っているが、決定的に異なっているのはその性格だろう。
無口で人付き合いの悪い周泰より、快活で誰にでも分け隔て無く振る舞う甘寧に注目が集まるのは、事実である。


「落涙様は、一晩安静にしていれば良いでしょう。将軍はどうなされますかな?」

「…暫く…此処に居させてもらう…」


安心したように頷いた典医は、小さな蝋燭に火を灯し、卓上に置いて静かに退室した。

ゆらゆらと、揺らめく炎に照らされる。
壁に影となって描かれた己の姿は、微動だにしない。
周泰はその後も立ち尽くしていたが、蝋燭が半分の長さになった頃、思い出したように椅子に腰掛けた。


「…落涙様…」


閉ざされた瞳に、涙は浮かんでいない。
周泰が最後に見た彼女は、両目に大粒の涙を溜めていた。
深く心を傷付けておきながら、まだ、謝罪をしていないのだ。
むしろ、謝るつもりなど無かった。
そのような勇気は持ち合わせていないと言ったら、主は情けないと嘆くだろうか、戦場との違いを指摘し、笑い飛ばすだろうか。


 

[ 123/421 ]

[] []
[]
[栞を挟む]



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -