残された余韻



「貴公の弟は故郷を捨て、現在身を置いている蜀と運命を共にすることを誓ったようだ」

「蜀に…?そ、そんな…どうして…」


蜀は、孫呉と戦の真っ最中ではないか。
淡々と続けられた太公望の言葉に、咲良は酷く打ちひしがれる。
悠生は故郷に帰ることを諦め、蜀で暮らすことを決めたのだ。
咲良は毎日、弟との再会を願っていたのに。
離れている間に、悠生は私のことを忘れてしまったのかと考えるだけで、もう立ち直れない気がした。

強い風が吹き、砕けたフルートの破片を無視して、鈴がころころと転がっていくが、咲良は追いかけることが出来なかった。
太公望が身を屈め、鈴を拾って咲良の手に握らせる。
だが、礼を述べようにも声にならない。

自分はこれほど弟を求め、再会を夢見ていたというのに、悠生は、蜀に永住すると決めたのだ。
だが、それはつまり、悠生にとって蜀はどこよりも居心地が良く、選ぶに値する場所だということ。
故郷を捨て、蜀で一生を終えると決意するのに、どれほどの勇気を要したことか…、
駄目だなんて、言えるはずがなかった。


「だったら私は、どうしたら良いんですか…?これから私は、何のために生きれば良い…?」


フルートを失っては、楽師には戻れない。
楽器を持たない者が、このまま小春の師で居続けられるはずがない。

音楽のみならず、咲良の生きる希望であった悠生が、帰還を願っていなかった。
元の世界に帰れずとも、二人で暮らすことが出来れば、それだけで良かったのに…悠生はきっと、咲良よりも大切な人に出会ってしまったのだろう。
太公望に告げられた事実は本人が思う以上に、咲良の心を深く抉り、傷付けたのだった。


「…私は…もっと、悠生のお姉ちゃんでいたかったです…」

「……、」


涙が、出なかった。
笛を無くしたのだから、もう落涙を名乗るなと言うことなのか。
全ての人に、貂蝉にまで見放されてしまったような気がして、咲良は耐えきれずに俯いた。

太公望は慰めの言葉を投げかけることも無く、黙って咲良を見下ろしていた。
瞬き一つしていないのだろう、痛いぐらいの視線を感じる。


「世の静寂とはよく言ったものだ…それは、貴公の旋律が響かなくなった今のことかもしれぬな」


太公望は咲良の頬に手を添えて、何か術を使ったのか…僅かなあたたかさと、ぱちんと風船が割れるような音を脳内で感じ、そこで咲良の意識はぷつりと途切れていた。


(限られた時間を、好きな人と過ごさせてくれたって良いじゃない…そんなことも許されないの…?)


ちりん…と、手に握り締めたままの鈴が、小さく音を響かせた。


END

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