つばめと落涙



「な、泣かないでください…」

「だってっ…だって、…っ…」

「……、」


咲良は首を横に振り、子供のように泣き続けた。
陸遜に借りた布で涙を拭っても涙は止まらず、キリがない。
困り果てた陸遜は、励ましの言葉も思い付かないようだ。


(そっか…、この世界じゃ、大喬もひとりぼっちなんだ…!幸せだったはずなのに…それなのに…)


今更、干吉を恨んでも仕方がないことではあるが。
孫策が酷いことをしてしまったのも事実だし、干吉が孫策を呪い殺したなんて、咲良には信じられない話だ。
しかし、愛する人を失い若くして未亡人となってしまった大喬を想うと、切なくてたまらなくなるのだ。
胸が締め付けられるこの感情は、どうにも形容し難い。
きっと、これからの大喬の幸せは、孫策が残した子供の幸せを見守ることだけであろう。


「陸遜ッ!」

「は、はい?」

「健康な子を生んでくださいね!!?」


必死な形相で押し迫ったためか、陸遜は表情を強ばらせ、一歩引いていた。
陸遜は孫策と大喬の間に生まれた娘と結婚する…そのことを咲良は知っていた。
生まれた孫が元気で丈夫な子なら、大喬もさぞかし喜ぶことだろう。
そんな単純な考えから、咲良は後先考えずに陸遜に訴えかけていたのだ。


「私は、男ですが…」

「……!ご、ごめんなさい…!私、なんて失礼なことを…」

「いえ…それに、何故私の名を?」

「え、と…陸遜様は有名なお方ですから!」


また、やらかしてしまった。
しかも…思い切り呼び捨てにした。
未来の大都督様になんて失礼なことをしてしまったのだろうと、咲良は己の情けなさを歎き、すぐにでも消えてしまいたくなる。

陸遜は咲良が口にした「有名」という単語が気になったようで、首を傾げている。
この様子では、赤壁の戦いは終わっているが…彼が軍師として名をあげた夷陵の戦いは、まだ先の出来事のようだ。
口にしてしまったものは取り消せない。
数々の失態に、咲良の涙も引っ込み、次の瞬間にはもの凄い勢いで頭を下げていた。


「もっ、申し訳ありませんでした!」

「いいえ。あなたが謝る必要などありませんよ。そもそも、名も知らない女性に声をかけた不躾者は私の方ですし」

「う……」


顔を上げてください、と囁くように言う陸遜の笑顔はとても綺麗で、咲良はときめきと、それに勝るほどの恥ずかしさから頬が赤らむのを押さえられなかった。

陸遜は、遠回しに咲良の名を尋ねていた。
しかし…実は蘭華に忠告されたばかりなのだ。
咲良の名は響きが珍しいから、あまり本名を名乗らない方が良いと。
身元も分からない自分を置いてくれている蘭華に迷惑をかけないためにも、トラブルは極力避けなければならない。


「わたし…私は、落涙と申します」

「落涙?鬼をも泣かせるという笛の名手の?」


名を知られていたことに驚くも、咲良は控え目に頷いた。
誰が最初に言い出したかは知らないが(貂蝉だろうか)咲良は鬼を泣かせるほどの素晴らしい演奏をする楽師だと、巷では囁かれているらしい。
実際、鬼のような人間を泣かせた経験はないのだが…、そのように噂されると、やはり気恥ずかしかった。


 

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