慰めてくれる
小春は涙を流してはいたものの、自ら指で雫を拭い、はにかんで見せた。
傷付けて泣かせた訳ではないと分かり、咲良は心の底からほっとする。
「久しぶりに落涙さまの音を聞かせていただきました…やはり、素晴らしいです」
「あ、ありがとうございます?」
「わたしは…初めて落涙さまの旋律をお聞きした法要の夜に、父上の夢を見たのです。お顔も知らない父上が、わたしに揺籃歌を唄われる…あたたかな夢を」
咲良は息を呑み、思い出を懐かしむように遠い目をする小春を見た。
小春が生まれて間もなく孫策は亡くなったため、彼女は父親の顔を覚えていないはずだ。
写真など存在しない、肖像画は…あるかもしれないが、それでも小春は、夢に孫策の姿を見て、涙を流したのだ。
「父上は、とてもお優しい御方だったそうです。家臣や民をも、家族や友のように思われていたのだと…、母上に教えていただいたお話が、私の全てでした」
「小春様……」
「ですが、落涙さまのおかげで、父上に近付くことが出来たような気がします。今日も、父上の夢を見ることが出来ましょう。ありがとうございます…落涙さま」
「いえ、私は何も…」
咲良は、自分の演奏が小春に何か影響を与えたとは思えない。
増してや、孫策に関して…音楽で死した人間の御霊を慰めることは出来ても、それ以上踏み込めるはずがない。
だが、彼女が咲良に師事した大きな理由は、再び落涙の音を聴けば、孫策を夢に見て、少しでも亡き父に近付くことが出来ると…健気にも信じていたからであろう。
「…落涙さま。不躾な願いではありますが…、皆様が戦から帰られるまで、このまま城に居てはくださいませんか?」
「それは…願ってもないことですが…これ以上、ご迷惑をおかけする訳には…」
「迷惑などと…、これはわたしの我が儘です。それに…落涙さまの旋律は、わたしと父上を繋ぐ、尊いものなのです。どうか、このまま…」
どうにかして師を引き留めようと言葉を紡ぐ小春を見て、ときめいてしまう咲良は、自分の決意の弱さに苦笑した。
もとより、可愛い人のお願いを断れるはずがないのだ。
「では、ご一緒に…、そうですね、これからは二重奏が可能な曲をお教えしたいです。私も、小春様と合わせて演奏がしたかったんですよ」
「落涙さま、ありがとうございます!」
眩しいほどの満面の笑みを見てしまえば、もう城下に戻るとは言えない。
だが、小春に笛を教え、彼女の成長を日々目にするのは、咲良にとっての喜びでもあったのだ。
それと同時に、出来ることならば弟に、悠生に…少しでもフルートを教えてあげたかったと、咲良は悠生を懐かしんでは、寂しさを感じた。
現実世界に帰れなくとも、悠生を捜して共に暮らすことを諦めてた訳ではない。
諦めては…生きる理由を失ってしまうような気がしたから。
END
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