湿った真珠
「先程…君と周泰が何やら言い争っているのを目撃してしまってね。暫く眺めていたのだよ」
「えっ!?」
「話は聞こえなかったが、どうしても気になり、其方に赴こうとしたら君に会えた」
ふっ、と微笑む周瑜に悪い印象は無い。
ただ…、泣きながら周泰に反発する姿を見られているとは思っていなかったので、咲良は相当に恥ずかしい想いをする。
「もしや、痴話喧嘩かな?それならば私が介入することは出来ないが」
「ちっ、違います!ご冗談を…」
「あれほど取り乱す周泰は私も初めて見た。落涙殿が違うと仰るならば、私の勘違いであろう」
この様子では、全てを見られていたのだろう…咲良はこれ以上無いほどに顔を赤くする。
下手に言い訳をすれば更に誤解されてしまいそうなので、咲良には俯くことしか出来なかった。
「はは、すまない。ひとつ、言い訳をさせてほしいのだが…君に監視を付けたのは私なのだ。周泰を責めないでほしい」
「周瑜様が、私を…?」
「疑わしきは罰せよ、女人であってもだ。君に疑問を持つ者が居てね、私も無視する訳にはいかなかったのだ。だが、私は周泰のお陰で、君を無害と見なすことが出来たのだよ」
周泰は確かに、咲良を監視していたのかもしれない。
だが、傍に居たのが周泰だったから…、咲良は縄目にかけられることも、尋問されることも無かったのだろうか。
疑惑を晴らすために、傍に居てくれた?
「申し訳無いとは思っている。だが、それがこの孫呉のためだと、御理解願いたい」
「…よく、分かりました。私は間者ではありません。何の力も無い、ただの小娘です」
「落涙殿…、これで許してくれとは言わないが、宜しければ、君を正式に城へ招きたいと思う。いっそ、この私に仕えてみる気はないかな?君が傍に居てくれれば、楽しい話が出来そうだ」
咲良は驚いて目を丸くした。
それは、願ってもないことだが…言い方を変えれば、周瑜の楽師となる、つまり彼のものになるということではないか。
だが、愛妻家の周瑜が本気で妾を望むとは思えず、咲良は苦笑しながら首を横に振った。
「とても…ありがたいお話なのですが…小喬様が、嫉妬してしまいますよ?」
「はは、そうであったな!私は小喬一筋だ。彼女を悲しませることはしないよ」
周瑜に、初めからその気は無いのだ。
小喬を愛する周瑜が、女官以外の女をわざわざ傍に置くはずがない。
咲良を慰めるつもりか、はたまた試しているのか…、軍師と言う存在は常に人を謀っているような気がする。
「しかし落涙殿、これは確かだよ。私は…小喬も、君の味方だ。一人で悩んだりせず、まずは私に相談したまえ」
「あ、ありがとうございます…」
爽やかな笑みを浮かべて、周瑜は何事も無かったかのように立ち去っていく。
咲良の気分は沈んでいたが、心はとても落ち着いていた。
それでも、涙が乾くまでには、まだ時間がかかりそうだ。
END
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