つばめと落涙
(私だけがゲームに取り込まれたなんて有り得ない。だって悠生も傍にいたんだもん。きっと…この広い大陸のどこかに生きているはず…)
そう思わなければやっていられない。
自分は、此処で生涯を閉じるつもりはないのだ。
必ず、悠生と一緒に日本へ帰る。
そのためにはお金を貯め、様々な情報を集めなくては。
だが、気掛かりなのは…悠生は人より体力が無く、体が弱いのだ。
現代には存在しない病原菌に感染したりして、病気に苦しんでいたら?
悪い人に捕まって、乱暴されていないだろうか?
コミュニケーションが下手で、人見知りも激しく大人しすぎる弟が、たった一人で生きることが出来るとは思えない。
(もしも…、死を…選んでいたら?)
大好きだったはずの世界に絶望して、生きることをやめてしまったら。
悠生が死んでしまえば、咲良の生きる意味も無くなってしまうのに。
消える気配も無い不安のせいで、弟の最悪の結末を想像してしまった咲良は、自らの想像にショックを受け、小さく嗚咽を漏らした。
…こんなこと、考えなければ良かった。
ただただ苦しくて、寂しさが増すだけだ。
泣いている暇があったら、少しでも情報を集める努力をすべきだろう。
だが、溢れ出した涙を止めることも出来ず、咲良は俯いてひたすら服の袖で大粒の雫を拭った。
「もう、やだなぁ…涙なんか枯れちゃえば良いのに…」
咲良の後ろ向きな独り言を耳にしてしまったのか、誰かがぴたりと足を止めた。
人目もはばからずに涙を流す咲良の目の前を、何の前触れもなく影が覆う。
「どうなされたのですか?」
「え?」
声をかけられたことに気づき、顔を上げれば、目尻に溜まった涙がぽろぽろと頬に流れていく。
優しげな声の持ち主を認識した瞬間、咲良は息が止まりそうになるほどに、驚いていた。
貂蝉に出会ったときもそうだが、その美しさに魂が持っていかれそうになる。
(りっ…陸遜…!?)
本物は、女性と見間違うほどであった。
驚きと興奮に思わず叫びそうになり、咲良は慌てて手のひらで口を覆った。
声をかけてきた茶髪の青年、陸遜は咲良の行動が嗚咽を堪えてのものと勘違いし、神妙そうな顔をする。
陸遜、字は伯言という。
孫呉を支えた名高き軍師様が、こうして目前に立っている…何とも、不思議な気分だった。
蘭華の店に訪れるのは名も知れない将兵ばかりで、咲良が見逃しているだけかもしれないが、二月が経過しても、咲良は意外にも貂蝉以外の無双武将に出会うことはなかったのだ。
(今が西暦何年なのかは分からないけど、赤壁の戦いは終わっている、んだよね?孫策は確実に亡くなっているはず…だったら、大喬は…?)
想像するだけで、胸が張り裂けそうになった。
余計なことを考えてしまった咲良は、自身に更なるダメージを負わせ、だーっと滝のように、先程の非ではない涙を流す。
どうして泣いていたのかなんて、分からなくなってしまった。
陸遜はぎょっとするも、すぐさま肌触りの良さそうな白い手布を差し出してくる。
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