湿った真珠



荊州にとどまる関羽討伐のため、皆が城を出兵してから早くもひと月が過ぎた。
建業城は、いつにも増して静かである。

数日ぶりに咲良は病棟を訪れていた。
勿論、護衛の周泰も一緒だったが、典医に診察を受けている間、孫権から呼び出されたらしく、急いで出て行ってしまった。


(俺が戻るまで動かないでください…って言われちゃったし…どうしようかな)


診察はほんの数分で終わってしまった。
典医によると、咲良の怪我はほぼ完治していて、笛を持っても問題はないという。
つまり、咲良が城で世話になる必要も無くなったということだ。
今日にでも、城下にある蘭華の元へ戻ることも出来るのだが、急な話ゆえに、笛の教え子である小春を困らせることにならないようにと、城を出るまでにはもう少し時間を置いて、小春には後日改めて報告することに決めた。

周泰を待っている間、典医の迷惑になってはいけないと思い、診察を終えた咲良は取り敢えず病室から出た。
暫く待っても周泰は戻らないが、勝手に歩き回っては手間をかけさせることになるだろうと思い、咲良はどうしようかと頭を悩ませる。


(廊下でただ立っていても、変な目で見られちゃうだろうし…病棟の入り口で待っていれば、周泰さんも見つけてくれるかな?)


そう考えて、咲良は足を進めた。
だが、今まで城内では何度も道に迷っているため、どうしても不安になってしまう。
咲良は普段から城内を歩かない上に、どこも似たような造りなので、なかなか道を覚えることが出来なかったのだ。


「……、…って…」


角を曲がりかけた時、世間話をしているのだろうか、女官達の話し声が耳に飛び込んできた。
そこに、落涙の名が聞こえたのだ。
咲良は思わず足を止めてしまった。
彼女達は、驚いた咲良が立ち聞きをしていることなどつゆ知らず、その場で噂話を始める。


「ご存知ですか?周泰様が落涙様の護衛になられた理由を」

「ええ、でもそれって噂なのでしょう?護衛がただの名目っていうなんて、おかしいじゃない。落涙様には間者の疑いがかけられているなんて、酷いことを言う人も居るのね」


どくん、と胸が鳴る。
いつの間に、そんな噂が流れていたのかと…、疑われるようになったきっかけも、全く身に覚えがないのだ。
他愛ない話をする女官に悪気が無いことは理解出来るが、すぐにでも否定したいと思っても…、壁に手をつき、震える呼吸を落ち着かせるので精一杯だった。


(私が間者…?私は…受け入れてもらえたはずなのに…それって、勘違いだったの…?)


この世界の住人ではない咲良は、他人から見ても、確かに怪しい存在ではあった。
だが、いきなり間者の疑いをかけられるのは、おかしいだろう。
大喬に招かれ、笛の師として小春の傍に居ることを許されている咲良に少しでも間者の可能性があるならば、すぐに引き離されていたはずだ。


 

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