つばめと落涙



咲良が貂蝉に落涙という名を与えられてから、早くも二月が過ぎた。
建業での楽師としての生活にも慣れ、蘭華や貂蝉、他の楽師達とも打ち解け、充実した日々を送っている。
だが、夜な夜な湧き上がる不安が、完全に消えることはなかった。
離れ離れとなった悠生と、未だに再会出来ていないのだから。


(私は死ぬまで此処にいなくちゃならないのかな…?)


踊り子閉月の傍らで銀色の横笛を奏でる娘、楽師・落涙の名は徐々に有名になっているようだ。
外見や見た目はさて置き、咲良の演奏は意外と評判が良いのだ。
咲良が観客を楽しませようと奏でた曲は聴き手の気持ちを高め、逆に感傷に浸らせようと静かな曲を奏でれば、人は押さえきれず涙を流す。
まさに落涙の名に相応しいと、演奏を聴いた人々は口々に褒めてくれるのだ。


(無双の世界に来てから、フルートが上手になった気がする。気のせいかな?)


しかし、有名になったのは貂蝉に貰った名前…言うなれば偽名である。
その名が悠生の耳に入っていたとしても、弟が気付く可能性などほとんど無い。

咲良の悩みが尽きることは無かった。
単に、過去の世界へ紛れ込んでしまっただけだったらまだ良かったのかもしれない。
しかし此処は三國無双…、未来との、現実との繋がりが感じられないゲームの世界。
咲良の笛の音に舞う貂蝉は正真正銘生きているから、無双だから、作られた世界だからと言ってしまいたくはないのだけれど。

だが、一向に進展しない状況に、少しずつ焦りが生じ始めた。
せめて、悠生の安否や、日本に帰る手段が分かれば、咲良の心労も軽くなるのだろうが…


「…帰りたいな」


ぽつりと呟いた咲良の望みは、往来する人々のざわめきにかき消されてしまう。

咲良は仕事用とは比べ物にならない軽い化粧をし、安っぽい地味な服を着て町を歩いていた。
背筋を丸め、激しく暗い雰囲気の女。
これでは、咲良が楽師の落涙だとは誰も気が付かないであろう。

蘭華の元で働き始めた咲良は、給料を貰っても、一度も使わずに取っていた。
住み込みで働き、食事も与えられているので、特に買い物をする必要がないのだ。
暇さえあれば、と言うより丸一日をフルートの練習に費やしている咲良を心配した蘭華の提案で、気晴らしに買い出しをすることになり…こうして連れ出されたのである。


「咲良!背中が曲がっているよ!」

「いたぁい!ら、蘭華さん…そんな…痛いですって…」


蘭華にバシン!と背を叩かれてしまい、咲良は情けない声をあげていた。
彼女は若いのに、肝っ玉母さんのようである。
咲良は痛みから目に涙を溜め、恨めしそうに蘭華を見上げた。


「あんたは人を泣かせるだけじゃなく、自分も泣き虫なんだねぇ」

「もう…ほっといてください…」

「あはは!機嫌を損ねないでおくれ。ほら、ちゃんと露店を見ておきな。日々売り物は入れ替わるからね、欲しいと思った物は即購入すること!後悔したくないだろう?」


そう言われても、咲良にはこれと言って欲しいものが思い付かなかった。
欲が無い訳では無い。
ただ、今はこれで満足しているから。
現代で女子高生をやっていた頃は、お菓子や化粧品、フルートの手入れ用品など、お金が足りないほど欲しいものだらけだったのに。

時間の使い方だってそうだ。
咲良の日々は音楽一色だった。
学校で授業を受け、放課後は部活、週の半分は外部でレッスンを受ける。
毎日忙しかったが、友達と遊ぶ時間はあったし、それが当たり前になっていたから苦にもならなかった。

しかし所詮は、趣味の領域。
だからこそ今、人前で演奏することを仕事に出来るなんて、自分はなんて恵まれているんだと思えた。


「咲良、ちょっとあそこの主人に用があるんだけど…」

「でしたら、あっちで待っていますね」

「すまないね」


ウィンドウショッピングにも飽きてしまった咲良は、一時的に蘭華と別れることにした。
適当な壁に寄りかかって、忙しく行き交う人々をぼうっと眺める。
自然と咲良の視線は、悠生を探してさまよっていた。


 

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