眼差しの中で



「あの娘は私に言ったんだよ。私は罪を重ね続けた、でも、生きなければならない理由がある、ってね」

「…貂蝉さんは、優しい人なんです。健気で…気高い人だから…」

「ああ。私も…あの娘のことが大事なんだ」


貂蝉の生きる理由とは…、呂布の遺言だ。
戦に明け暮れた男が最後に残したものは…不器用な愛情。
愛の形は歪んでいたかもしれないが、貂蝉は一途に、呂布を想い続けたのだ。


(じゃあどうして、貂蝉さんは…呂布さんを置いていってしまったの?)


咲良は鈍く痛む胸元に手を当てた。
服の中に隠してはいるが、咲良は甘寧に言われてから、肌身離さず呂布の遺骨のペンダントを首に下げていた。
これは貂蝉にとって、命より大事なもの。
それを置いていくと言うことは…、つまるところ、何を意味しているのだろう。


「咲良、こういっちゃ閉月に悪いけど、あんたにだけは…幸せになってほしい。だから、自分を大切にしておくれ」

「私の、幸せは…」


…悠生が居なければ有り得ない…、そんなことは言えない。

貂蝉は文句なしに悲劇のヒロインだろうが、彼女の人生全てが不幸だったとは思わない。
呂布を愛した、呂布に愛された。
その瞬間だけは、貂蝉は世界一の幸せ者でいられたはずなのだ。


「難しいですね、幸せって…。私にはよく分かりません」

「あんたはまだ若い。これからいくらでも、幸せを知っていける。怪我が治ったら、また私の店で働いてくれるんだろう?」

「はい!それは、勿論…」


蘭華の元へ戻る…当たり前だ、ずっとそのつもりでいたから、咲良は大喬に誘われるがまま城へ入ったのだ。
…だがその時、咲良の耳は小さな音を拾った。
開け放たれた窓から流れ込む、小鳥のさえずりのように美しい笛の音を。

何も可笑しなことは無い、店の開店時間まで、楽師達は各々練習をするのだ。
こうして思い思いに奏でられる旋律を聴いていると、少し落ち着く。
毎日のように耳にしていたのだから。

言葉を呑み込んだ咲良は、苦笑する。
蘭華には頷くことで了承の意を示したが、同時に生まれたのは、焦りと不安だった。


(ああ、笛の奏者が戻ってきたんだね。私、仲良く出来るかな…)


笛吹きの楽師は咲良ひとりだった。
咲良の前に居た子が、故郷の両親の看病のために里帰りしてしまって、ちょうど空きがあったから、咲良は蘭華に雇われたのだ。

笛の奏者が二人居たって問題は無いだろう、二重奏が出来れば音曲の幅も広がるのだから。
蘭華だって咲良の帰還を望んでいる。
何を悩むことがあろう。


(私は、ずっと此処で暮らしていける訳じゃないのに…私の居場所は…此処には…)


悠生を連れて帰って、二人で暮らすことを、咲良は強く願っている。
故郷に帰りたいとは思うが…戻れなくたって良いのだ、傍らに悠生が居てくれるのならば。

先のことなど、何も分からないのだ。
蘭華が言う、幸せのその在処…、咲良は探し方さえ思い付かなかった。


 

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