波間に映る



「び、びっくりしました…」

「…お許しください…」

「でも、心配してくださって、嬉しかったですよ?さすが護衛って感じで…感動しちゃいました!」


照れ隠しのつもりか、いつも以上に早口でまくし立てる。
やはり、分からない。
彼女の一挙一動によって与えられる、この奇妙な心地…それが落涙の仕掛けた術だとしたら?
周泰はぐちゃぐちゃとかき混ぜられるような惑いを内にひた隠し、表向きは平静を装い、落涙を見ていた。


「え、と…、周泰さん…?」

「……、」


瞬きすらせず、周泰に見つめられた落涙は、獣に捕らえられた小動物のように縮こまり、たじろいた。
怯えさせるつもりは毛頭無いのだが、意外にも、それが落涙の口を割ることとなった。


「私の、生まれ育った国が、ずっと東の方にあるんです。もっと…海を越えた向こう側に…」

「…海の…向こうから…?」

「はい。すみません、こんな、訳の分からない話を…ただ、久しぶりに広い空を見たら、いろいろと思い出してしまって…」


ぽつりと呟くように、落涙は自らの生い立ちを口にした。
だが、それだけだ。
頑なに、それ以上を語ろうとはしない。

またもや、新たな疑念が生まれるような事柄を…、途中で口を閉ざされるぐらいならば、聞きたくはなかった。
落涙は異民族、つまり…世に知られていない奇怪な術を、伝えられている、可能性が否定出来なくなってしまった。


「…何故…?」

「私にも、よく分かりません。ですが…二度と故郷の土は踏めないんじゃないかって、最近はそう思うんです」


悲しんでいるはずなのに、落涙は笑って言う。
帰らないのではなく…帰れない、そういうことなのだと、周泰も理解した。
ならば、何のために海を渡った?
無理矢理に連れてこられたのだとしても…彼女は、その頼りない肩に、何を背負っているのだろうか。

全てを吐かせ、主に害成す者であれば討ち捨てなければならない。
偽りの護衛役に、何も知らずに笑ってみせる落涙を、自らの手で血に染めることになったとしても。


(…俺は…孫権様が…絶対だ…)


一時の情に流されては、立場が無い。
遥か遠い故郷を見つめ続ける落涙から目を背けた周泰は、自分に任を与えた周瑜を恨めしく思った。
哀れな少女を疑い続けなくてはならない、残酷な試練である。


「そろそろ…帰りましょうか?あまり遅くなってもいけませんから…」

「……、」

「周泰さん、今日はとても楽しかったです。また、ご一緒してくださいね」


帰る場所があるのは、恵まれたことだ。
しかし、落涙は…故郷を懐かしく想うならば、彼女にとっての孫呉は、寂しさに満ち溢れているのではないか。

涙の名を持ちながら、よく笑う娘だと思っていた。
だが、彼女の心は今も、涙を流している。
悲しませたくない、笑っていてほしいのだと…この時、周泰ははっきりと自覚した。


END

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