波間に映る



「うわぁ…!すごい眺め…!」


馬を走らせ到着した先は、壮大な運河である。
大陸を分断するように流れるそれは、長江と呼ばれている。
特にこの付近の濁流の勢いは、並大抵のものではない。
向こう岸など確認出来なければ、此処から川を渡ろうにも、急な流れに逆らえず、船を浮かべることさえ出来ないのだ。

こうして長江を目前に立つと、どうしても…忘れがたい過去が蘇ってくる。
周泰は江賊として、罪を重ねてきた。
弱い者から金品を巻き上げ、盗みもすれば、理由も無く人殺しをして仲間と暴れまわった。

若気の至り、では済まされない話だ。
そのような汚い過去を話して聞かせれば、いくら落涙でも、その笑みを失うだろう。


「周泰さんっ、東ってどっちでしょうか?」

「…東は…其方です…」

「ありがとうございます」


血の気の多い世界で生きてきた周泰は、一度たりとも、女を慈しんだ覚えが無い。
こうして、恋人と連れ添って遠乗りに来たことも、無い。
初めてと言うことは無かろうが、美しく力強い長江の流れを目にした落涙は、楽しそうにはしゃぎ、心から喜んでくれたようだ。

だが、どうしたことか。
落涙はふと思い出したように東の方角を向き、黙り込んでしまった。

頬を撫ぜる冷たい風が、落涙の黒い髪を揺らしている。
どうして急に、そのように大人びた顔をして、黙ってしまうのか。
それまで心地良く響いていた風の音と水の音も、不思議と弱々しく萎んでいくかのようだった。
この世に存在しているのは二人だけなのではないかと思うほどの、静寂に満ちる。
気が遠くなるほど、流れは続く。

その先に、落涙は何を見ているのか。


(…っ…呑み込まれて…しまう…!)


それは今までに経験したことのない、恐怖にも似た感覚であった。
周泰は、はっと我に返って、思わず落涙の手首を掴み、引き寄せる。
華奢で細い体は難なく周泰の腕に収まった。


「え、えっ?」

「…見ては…なりません…」

「な、なにをですか?」


周泰はよく、不言実行の冷静沈着な男と評される。
だが、このように後先考えず、間者とも疑われる女を抱き締めるなど…、周泰自身にも全く理解出来なかった。
落涙も、突然のことに困惑しているようだが、何故か、抵抗する様子を見せない。
大人しく周泰に身を任せている。


「あ、もしかして、飛び込むかと思いました?そんなことしませんって!私、あまり泳ぎは得意じゃないんですよ」

「……、」

「大丈夫、ですから…周泰さん?離してくれませんか…?てっ、照れます!恥ずかしいんです!」


その言葉通り、体を離し解放された落涙の顔は、可哀想なほどに真っ赤だった。
男に免疫が無いのだろうか。
これが…、演技とは思えない。
ではあの色香は無意識のもので、計略に活用したことは無いのだと…、信じても良いということか。


 

[ 91/421 ]

[] []
[]
[栞を挟む]



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -