波間に映る



「将軍、落涙さまを宜しくお願い致しますね」

「…御意…」


気付けば、随分と時間が過ぎていたようだ。
日頃から忙しい小春は次の習い事のため、早々に退室していった。

すると、部屋の空気が一変する。
落涙の緊張が此方にも伝わってくるのだ。
きっと、周泰に疑われていることも知らない落涙は、単にあまり親しくない男と二人きりになることに対して、戸惑っているのだろう。
沈黙が気まずいのか、そわそわしている。


「…落涙様…」

「は、はい!何でしょう?」

「…宜しければ…俺に…時間をいただけませんか…?今日は…ご覧の通り天気も良く…」


開け放たれた窓の外を示し、周泰は呟く。
突然名を呼ばれびくりと肩を跳ねさせた少女は、それが遠乗りの誘いであると気付くと、ぱあっと顔を輝かせた。
ほとんど部屋に閉じこもっている落涙は、誰かに連れ出さなければ外に出ることさえ叶わないのだ。
事実上の監禁である。
そのような彼女に監視を付けるなど…

落涙自身、普段から遠慮しているせいもあるのだろうが…周泰が見た笑顔は、愚直と言って良いほどに自然なものだった。


周泰が落涙を誘ったのは理由がある。
一つは、彼女の本質を見極めるため。
城内では怪しまれぬよう行動を制限しているのならば、この機会に実行するかもしれない。

もう一つは…、自分らしくない考えだとは自覚しているが、狭い部屋でふさぎ込んでいる落涙を元気付けたい、と思うが故に。


「あ、あの…私、馬に乗るのは初めてなんです」

「…では…此方に…」


厩舎で馬を用意させたが、落涙は申し訳なさそうに、乗馬の経験が無いのだと打ち明ける。
周泰は顔には出さずとも、本気で言っているのかと一瞬勘ぐったが、彼女の反応を見る限り、嘘ではないようだ。

馬を前に困惑する落涙を導き、前に座らせると、後ろから抱き込むようにして周泰も馬を跨いだ。
だが、少し馬が揺れただけで彼女は「うわわっ」と慌てたような声を出すのだ。


「ひゃっ…しゅ、周泰さん、もっとゆっくりで…!お願いします…」

「……、」


何を怖がることがあるかと、呆れる前に、周泰はどきりとしていた。
これぐらいで、落涙は瞳を潤ませているのだ。
やはり、彼女は間者には向いていない。
体力的にも、能力的にも劣る…、周泰が今まで見てきた罪人とはまるで違いすぎる。


(…だが…色香は無いことも…)


不安げに見上げてくる涙混じりの眼差しや、駆ける馬に揺られ、不意に口から漏れる吐息や声が、やけに耳に響く。
このような普通の少女相手に惑わされるなど…、周泰は本気で自分を情けなく思うのだった。


 

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