悲しみの影



「落涙さま…ご迷惑をおかけしまして…お恥ずかしい限りです」

「そんなこと…気になさらないでください。小春様、何があったのですか…?宜しければ…、相談相手としては頼りないですが、お話を聞くことなら、私にも出来ます」

「ご心配を…、ですが、落涙さま…わたしは、どうしたら…!」


感情を制御出来ず、こうも取り乱すなんて…、本当に小春らしくない。
嗚咽を漏らし、弱々しく泣き崩れる様子は、この年頃の子供には珍しくもない光景だろうが、厳しい姫様教育を受けてきた小春は違う。

何か悲しい出来事があったのだろうか。
大喬や女官の前では我慢出来ていたのかもしれないが…、小春の心は、限界などとっくに越えていたのだ。
泣き虫な咲良はどちらかと言うと慰められることが多いが、こうやって逆の立場になって初めて、慰める役の気持ちが分かったような気がした。
凄く、胸が苦しくて…押し潰れされそうだ。
早くその涙を止めてあげたいのに、もしもっと苦しめるような言葉を口にしてしまったらと思うと…、何も声が出て来なかった。

でも、このまま咲良が黙っていたら…いつしか小春の涙は枯れてしまう。
今、戦場に居るであろう陸遜は…宴の夜、星が瞬く下で、小春殿を宜しく頼みますと咲良に願ったのだ。
勿論、咲良自身が陸遜の代わりにはなれないが、小春を可愛く思う心は陸遜にも負けていないはずだ。


「大丈夫ですよ、小春様。私は…小春様のこと、大好きですから!」


小さな手のひらを握り、笑顔を見せる。
涙が止まるまで、ずっと傍に居ります、と咲良は暗に伝えたのだ。
笑える状況では無かったが、咲良が一緒に落ち込んでは、小春が立ち直れなくなってしまうような気がした。

小春はひっくとしゃくりあげながらも、咲良の台詞に頬を赤らめていた。
こうもはっきりと"好き"と言われたことが無く、躊躇っているのだろう。
だが、次第に落ち着きを取り戻した小春は、少しずつ胸の内を明かしてくれた。


「毎日のように、同じ夢を見るのです…とても恐ろしく…悲しい夢でした…」

「悲しい夢…?」


どれほど印象に残る夢でも、咲良は大概、目覚めたらすっかり忘れてしまう。
今が争いの耐えない世ならば、せめて夢だけは、幸せなものであって欲しいと思う。

小春が言う、悲しい夢とは?
これほどに小春を苦しめるそれは、果たしてどのような悪夢だったのだろうか。


「伯言さまが酷い怪我を負っておられ、わたしは何度も何度もお呼びするのですが、気付いていただけないのです。そのまま闇に覆われ、伯言さまは遠くに行かれてしまう…そのような、夢ばかり…」

「小春様……」

「毎夜、この櫛を手にお祈りをしているのです。ですが、わたしの願いとは裏腹に、夢の中の伯言さまは苦しまれているのです…」


己の最も愛しい人が傷だらけになって、闇に消えてしまう夢を見続けている。
まさに、悪夢だ。
小春の胸中を考えれば、その精神的な苦しみが彼女を追い詰めていることなど容易に察すことが出来る。
間の悪いことに、現在、小春の愛する人は戦場に赴いているのだ。
いや、原因は間違いなくそれだろう。
 

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