夕べの星



命のやり取りをする戦場に行きたいなどと、楽師が口にして良い言葉ではないのだ。
良からぬことを企んでいる、と疑われはしなくとも、馬鹿なことを言う娘だと呆れられたかもしれない。
ただでさえ咲良は、自分のことをあまり口にしないから、その本意を探ることは陸遜であっても困難だろう。


「やはり、甘寧殿のことを…心配しておられるのでしょうか?」

「甘寧さんは暴れん坊ですから、怪我をされないかは心配していますけど…、大丈夫ですよ。呂蒙様も凌統さんも、勿論、陸遜様も。無事に帰ってきてくださるんでしょう?だから…それが理由じゃ、ないんです」


咲良の答えは、疑惑を掘り返すだけだ。
好きな人のために戦場へ行きたいと望む…、それはそれで美しい理由になるとは思うが、咲良は違う。


「不謹慎ですが…戦場は、人が多く集まる場所ですから。星の数より人の数って少ないと思いますけど、生き別れになった弟と再会出来る確率は、どれぐらいなのかって…考えたら、虚しくなるばかりです」


荊州の地を奪い、軍神と呼ばれる関羽を討伐するため、呉は魏と手を組んだ。
激戦地となる樊城には、三国の武将が揃うことになるのだ。
だから、もしかしたらと…、そんな、淡い期待を抱いていた。
期待を裏切られて、傷付くのは自分だけだ。


「落涙殿が戦場に行きたかった理由とは、弟を…捜すため?」

「私の弟は、とても可愛い子なんですよ?可愛くて…弱い子だから、酷い目にあっていないか心配で…」


初めの頃は、奏者として有名になって、悠生に居場所を知らせようと思ったりもしたのだ。
悠生の方から会いに来てくれる、そんな可能性が、少しでもあるならと。
だが、重大な見落としをしていたことに気が付き…、今となっては笑い話であるが、これ以上、咲良には弟を捜す術など何も考えつかなかった。


「弟は、落涙という名前を知らないんです。だから、落涙がいくら有名になっても、弟には気付いてもらえない…単純思考は、いけませんね」

「では、落涙殿は何故、本名を名乗らなかったのですか?」

「ちょっと変な名前なので。あ…でも、珍しい名前だから…気に止めてもらえたかな?今は、落涙と言う名前もすごく気に入っているんですよ。私にとってはどちらも、大事な名前です」


お気に入りの落涙の名も、弟にとっては他人の名でしかない…、と苦笑すると、陸遜は困ったように眉を寄せる。
少し、喋りすぎてしまったようだ。
だが以前と比べ、心は軽くなった。
ずっと秘密や悩み事を抱え込んでいるのが苦痛だったから、誰かに話して、楽になりたかったのかもしれない。


「あなたの名を、教えていただけませんか?」

「え、でも……」

「変な名前かどうかは私が決めることでしょう?もし本当に可笑しな名だとしても、私は誓って、笑ったりしません」


陸遜がやけに真剣な目で見つめてくるから、咲良はそのままの姿勢で固まってしまう。
彼にとっての自分は今も昔も"落涙"でしかなくて、これからも変わることはないと思っていた。
だが、陸遜は"咲良"を知ろうとしている。
友達になりたい…、そんな小さな望みも、諦めたばかりだったのに。

それなのに、陸遜はもう一度、歩み寄ろうとしてくれた。
ならば、咲良が勇気を出して応えることで、無くしたものを再び手にすることが出来るのではないか。


 

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