甘き音色の中で



槍を握っていたはずの両の手が、血に塗れていた。

趙雲は愕然とする。
目の前にはおびただしい量の血を流して横たわる悠生と、血を滴らせる細剣を手にした劉禅の姿があった。
その剣は趙雲が、"阿斗"と呼ばれていた頃の劉禅に与えたもの。
まさかその剣で、悠生の身を貫いたというのだろうか。
誰にも壊せやしない、固い絆で結ばれていた幼い二人が、このような結末を迎えて良いはずがない。


(…悪い夢だ。夢に違いない…そうでなければ…)


ぴくりとも動かない悠生は、どうしたことか、笑っているような気がした。



─────



その瞬間を、趙雲は待ちわびていた。

魔王・遠呂智は倒れ、世に平穏が戻り、皆は日々を忙しく過ごしている。
遠呂智軍の残党の討伐に赴いたり、荒れ果て困窮した城下町や農村の復興など、やるべきことは多くあった。
成都へ一時は帰還した趙雲だったが、すぐに兵を率いて城を出たために、自由な時間などほとんど無かったのだ。


「お疲れ様です、趙雲殿。貴方の活躍で思ったより早く蜀は立て直すことが出来そうです」

「いえ、私は諸葛亮殿のご支持通りに動いたまでです。ではこれで、失礼致します」

「趙雲殿、別件で貴方に話があるのですが…」


柔らかな笑みを携えた諸葛亮が言う。
任を終え城へ戻り、諸葛亮の執務室まで報告に訪れた趙雲だったが、用が済んですぐに立ち去ろうとしたところを呼び止められてしまった。
全てを見透してしまえそうな諸葛亮の黒い瞳が趙雲を貫く。
心の内を覗かれた訳でもないのに。
趙雲は顔には出さなくとも、何やら嫌な予感を拭いきれずにいた。
きっと、趙雲がこれから真っ先に訪ねるであろう相手さえも、諸葛亮は知っているのだ。


「馬雲緑殿の件、早々にお返事をいただきたいのです。当然、良いお返事をいただけると信じておりますが…」


やはり来たか、と趙雲は悪い予感が的中し、思わず頭を抱えたくなる。
随分と前に、馬超の妹・馬雲緑との縁談を勧められていたのだが、長く続いた戦いのせいでその話自体がうやむやとなっていた。
いつかは妻を娶り、嫡子を得なければならない。
それは、将としての義務である。
馬雲緑は見目美しく才もあり、武芸も嗜む…、自分には勿体無いほどの女性だと言うのに、何を悩む必要があろうか。

だが、今の趙雲は、女性のことを考える余裕も無ければ、やんわりと答えをはぐらかすことも出来なかった。
一刻も早く、会いたい人が居る。
その華奢な体を抱き締め、飽きるほど存分に口付けたい。
耳元で甘く愛を囁けば、どれほど愛らしい顔を見せてくれるのだろうかと、槍を置いたふとした瞬間に妄想しては、燃えるような熱さを内に無理矢理閉じ込めていた。
僅かだが、漸く手に入れた自由な時間を、諸葛亮との押し問答で使い果たす訳にはいかないのだ。


 

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