偽りなき愛を



「阿春殿…くすぐったいですよ?」

「だっておにいちゃん…ないてるんだもん…」

「泣いている?私がですか?よく見てください。ほら、涙など何処にも…」


細い指先が、透明な雫をすくう。
たった一粒、零れ落ちたのだと思ったら、次から次へと流れ落ちていく。
"落涙"…これこそが、彼女に与えられた名であったのか。
陸遜はその時、頬を伝う水が汗ではなく、涙であることを知った。


「な、何故…?私は、涙などとうに失ったものだと思っていたのに…」


とめどなく流れ落ちる涙を止める術も知らず、陸遜は呆然と、掛布に染み込んでいく涙の粒を信じられない気持ちで眺めていた。
鬼をも涙させるという咲良の音を耳にしても、泣くことが出来なかった自分が、こうも簡単に涙を流している。


「かなしいの?それとも、さみしい?」

「いえ…ただ、情けないのです。この涙は、絶望と、後悔の涙なのでしょう。綺麗なものでは、ありません…」


咲良のように、清らかな涙ではない。
愛する人を救えなかった…無念の涙だ。
このような形で、涙を流したくはなかった。

千春は心配そうに陸遜をじっと見上げていたが、次の瞬間には、陸遜の胸に飛び込み、ぎゅうっと抱きついていた。


「阿春殿?」

「ママはね、千春がないてると、ぎゅっとしてくれるの。そうすると、千春はもっとなきたくなっちゃうの」


母のあたたかさに包まれると、酷く安心して、涙が止まらなくなるのだと、幼い娘は語った。
思う存分泣いて、声が枯れるほどに叫んで、心の重荷を減せば、次は笑顔になれる。
千春は陸遜に、もっと泣いて楽になってほしいと願っていたのだ。
漸く、意図に気付いた陸遜は、ゆっくりと千春を抱き寄せ、高い位置で結った黒髪に、そっと唇を落とした。


「…今だけで良いのです…、あなたを"小春殿"と呼んでも宜しいでしょうか…?」

「うん…いまだけ、ね?千春は、はるのおねえちゃんのいもうとだもん」

「ありがとうございます…小春殿…あぁ…もっと、こうして抱き締め差し上げたかった…!」


胸の内に閉じ込めていた小春への想いが、一気に溢れ出してしまう。
陸遜はこれまで、親族の前でさえ、弱さを見せることが許されなかったのだ。
この激情を受け止めきれるかも分からない幼き娘に全てをさらけ出し、陸遜は小春の名を呼び、啜り泣き、涙を流した。

陸遜の願いを受けて"小春"となった彼女の妹は、傍に居ることで、彼の心を慰めようとする。
いつの日か、皆が幸せを取り戻せますように。
強く、祈り続けた。


 

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