偽りなき愛を



おにいちゃん、と幼い声が呼び掛ける。
陸遜は長き夢から覚め、数回瞬きをし、たっぷりと時間をかけて、自分の顔をのぞき込む少女と視線を通わせた。


「阿春殿…?」

「おにいちゃん、だいじょうぶ?すごく、くるしそうだったよ」


心配そうに口にした少女は、水に濡らした手拭いを一生懸命に力を込めて絞り、陸遜の額に流れた汗を丁寧に拭う。
辺りは既に薄暗く、蝋燭の小さな明かりが灯るだけの静かな部屋には、陸遜と少女、二人きりだった。


「咲良殿…、あなたのお母上は、どうされました?」

「ママはね、大喬おねえちゃんと、ごはんをつくるって!千春は陸遜おにいちゃんといっしょにいる、っていったの。ひとりは、さみしいでしょう?」

「ありがとうございます…あなたがお傍に居てくださったら、何も怖いことはありませんよ」


愛らしい笑顔に、陸遜もつられて微笑む。
この無垢な少女は、落涙…咲良の娘。
俄かに信じがたい話ではあったが、苦しげに事実を打ち明けた咲良が、嘘を言っているようには思えなかった。

彼女が頑なに、語ることを拒んでいた秘密も、娘の存在により、隠し続けることが辛くなったのだろう。
咲良は遠い未来から、時を越えて、この三国時代にやって来た。
いったい、何のために?
それは…世に災厄を齎す遠呂智を封じる、彼女にしか任せられなかった使命を果たすためであろう。

だが、陸遜はうっすらと感じることがある。
咲良と陸遜は…出会った瞬間から、友となる運命だったのだと。
彼女に惹かれていなければ、今の自分はもっと淡泊な、つまらない人間であっただろうと思う。
友である咲良の存在という縋るものがなければ、陸遜はきっと耐え切れずに崩れていたはずだ。

目に見えずとも、絆というものは、確かに存在している。
もう二度と会えぬと思っていた咲良とも、こうして再会できたのだ。
たとえ、どれほど遠く離れていても、小春との間に結ばれた絆も、決して消えることはないのだと…信じていたかった。


「おにいちゃん…?」

「阿春殿?どうされました?」


それまで笑っていたはずの千春が、急に怪訝な顔をする。
いきなり寝台に乗り上げたと思ったら、陸遜に近付き…、真剣な表情をして、頬に手を伸ばした。
幼い娘の行動の意図が掴めず、陸遜は狼狽えたが、相手は子供と思い、千春の自由にさせてあげた。
そういえば、自分が初めて小春と顔を合わせたのも…彼女が千春ぐらいの年齢の時だったと、ぼんやりと思い返した。


 

[ 56/69 ]

[] []
[]
[栞を挟む]



×
第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -