偽りなき愛を



彼女と出逢った日のことは、よく覚えている。
今よりもずっと手が小さく、苦しみも悲しみも何も知らずに、純粋で無邪気な笑顔は、春に咲く花のように可愛らしかった。



遠呂智との戦いに勝利してひと月…、民の日常は落ち着きを取り戻してはいたが、崩壊した機関、村落の復興や、各地で乱を起こす遠呂智軍の残党の鎮圧に、皆はあちこち奔走する日々を送っている。

陸遜と言えば、許嫁である孫小春を連れて陸家の邸へと戻っていた。
祝う間も無く、彼女は十一になったが、この機にどうか正式な契りを結びたいと懇願され、陸遜は孫権の許しを得て、婚儀の準備をするために小春を連れ帰ったのだ。

しかし…陸遜には分からなかった。
何故、小春がこうも急いでいるのか、その理由が思い当たらない。
彼女はいつもと変わらずに微笑んでいたが、確かな焦りが感じられた。
孫策の娘…姫として可愛がられている今は良くとも、陸遜の妻となれば、彼女は子供ではいられなくなる。
誰より慕っているであろう母・大喬とも引き離され、陸遜の妻として夫に尽くさねばならなくなるのだ。
未だ幼い小春には、荷が重いだろうに。


「伯言さま…今宵、伯言さまの御寝所にお伺いしても宜しいでしょうか?」


日が経つのは早いことで、陸家に戻り数日が過ぎた頃のことだ。
小春の笛の音を聴きながら、束の間の休息を楽しんでいた陸遜だが、まさか、慎ましやかな小春がそのようなことを口にするとは夢にも思わなかった。
耳に残っていた美しい旋律について忘れてしまいそうなほど、思考が停止しかけた陸遜だが、恥ずかしそうに俯く小春の姿を見て、すぐに冷静さを取り戻す。


「それは…つまり、私と閨で一夜を明かしたい、と…?」

「……、わたしは、もう大人になりました。ゆえに、伯言さまの子を成すことも出来ましょう…」


初潮を迎えた…、ということであろうか、真っ赤になりながら消え入りそうな声で呟く小春に、陸遜は何とも言えない気持ちになった。
陸遜は確かに小春を愛していたが、それは紛れもなく親愛の情であろう…、幼い彼女を、女として見たことなど無かったのだ。

もう何年も前の話ではあるが、婚約が決した時、陸遜が引き合わされた小春は、舌っ足らずな幼女であった。
陸遜も小春の成長を待たねばならないと理解し、後に妻となる少女を、抱き締めたことさえ無かった。
小春は孫策の娘で、身分ある姫君である…、無体な真似など出来ようはずがない。
先の戦で、離れ離れとなった小春と久方振りに顔を合わせた時も、小春は涙を流して再会を喜んだが、陸遜は大袈裟に触れることを躊躇い、手を握っただけである。


 

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