小さな愛し子




ちりん…、と鈴が鳴る。
あの頃と変わらない鈴の音が、あの頃よりずっと大人になった咲良の耳に届けられた。




咲良が長い夢から覚めたとき、まず目に入ったのは、テレビ画面の砂嵐だった。
ゲームをしていた形跡は残っている。
ちゃんと、二人分のコントローラーも繋いである。
日めくりのカレンダーを見ても、あの日と同じ土曜日だ。
何も、変わってはいない。
それなのに、悠生だけが居なかった。

棚の上に飾られていた写真立て。
両親と、咲良と悠生が写っていたはずなのに、三人分の笑顔しかないのだ。
悠生の存在が、完全に消えてしまったのだと気付いたとき、咲良は言いようのない悲しみを覚えた。
あれは、悠生の夢の話だったはずなのに。
両親でさえ、悠生の存在を忘れていた。
初めから、知らなかったかのように。
悠生は生まれていなかった、そうやって、家族の時が進んでいた。

想像もしなかった過酷な現実に、咲良はひどく心を乱した。
心配をかけたくなくて、家族には涙を見せないように気を付け、夜になると布団の中で声を押し殺してすすり泣いていた。
覚悟はとうに出来ていたはずなのだ。
無双の世界に、蜀に暮らすことが、悠生にとっての一番の幸せだと信じていた。
離れ離れとなったことが悲しいのではない。
悠生との思い出が、生まれ育った世界に存在した事実が、両親の記憶から消去されたことの方が辛かった。
こうなることは簡単に予想出来たはずではないか。
悠生はあちらの世界で幸せに暮らしている、そう思うことで咲良は自身を慰めていたが、両親への申し訳なさや自責の念が消えることは無かった。

不安やストレスのためか次第に体調を崩すようになり、学校も休みがちになった娘の異変を感じとった両親だったが、咲良がその理由を語ることは決して無かった。


(ごめんね…悠生…でも、私だけは、ずっと悠生のこと、覚えているから…)


誰にも打ち明けられない夢物語を胸に秘めたまま、長い時が過ぎた。

それから五年後──、
咲良は涙を流すことも、笛を吹くことも少なくなったが、今でもふとした瞬間に弟の姿を捜してしまう。
悠生は、現代に生きていれば大学生になっているはずだった。
もっと傍で成長を見ていたかったな、と時折、切なさに胸を痛めることはあるが、漸く、思い出として受け止められるようになった。

小春の櫛と、甘寧の鈴、周泰の首飾り…、そして周瑜に与えられた悠久の笛。
咲良が無双の世界で過ごしたことが事実だと、証明してくれる沢山の宝物が、今も変わらずに輝いている。
それらは箱の中に大事に仕舞っていたが、甘寧の鈴だけは、咲良の手元には無い。


「ママ、ママぁ!!」


今もまた、遠くから、ちりんと明るい鈴の音が響いた。
同時に、少女の声が咲良を呼ぶのだ。
徐々に此方へと近付いてくる鈴の音と、舌っ足らずな幼い声。


 

[ 1/69 ]

[←] []
[]
[栞を挟む]



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -