愛を願う娘



「父が恋しいか…、流石に私にはどうにも出来んが、お前の父が帰ってきたら、私の傍に仕えさせて重用してやろう。千春よ、お前は良き娘だ。何も嘆く必要など無いのだぞ」


孫権の言葉は、幼い千春には難しかったかもしれないが、その気遣いは伝わったのだろう。
千春はたどたどしくも丁寧に礼を言い、可愛らしく笑った。
その笑顔はやはり、落涙にそっくりなのである。
周泰は最後まで何も語ろうとせず、黙したまま、孫権と笑い合う娘の姿を見守っていた。



─────



半ば逃げるように、幼い少女を連れて立ち去った凌統の後ろ姿をひとしきり眺めた周泰は、思い出したように孫権に向き直ったが、主は何故か呆れ顔で寡黙な護衛役を見上げていた。


「心此処に在らずといった様子だな」

「…申し訳…ありません…」

「いや。お前の考えていることなど、私にだって分かるぞ。あの娘…落涙によく似ていたな」


そう、よく似ているのだ。
他人の口から聞くと、やけに現実味を増す。
その娘を一目姿を見た瞬間、周泰は息が詰まりそうになった。
落涙…もう二度と顔を合わせることも無い咲良の姿が、頭に浮かんだ。
初めこそ、どことなく面影が見いだせるぐらいであったのだが、くるくる変わる表情を見ているうちに、記憶に残る咲良の笑顔が頭から離れなくなって困った。
だが、胸が苦しくなるかと思いきや、周泰は意外なことに最後まで冷静さを保っていられた。


「もしかしたら、落涙の血縁者かもしれんな。何故凌統が連れて歩いているかは分からんが…、国へ帰った落涙と入れ代わるようにして、"此方の世界"へやって来たということも考えられるだろうか…」

「……、」

「まあ、私の考えすぎかもしれんがな!」


…孫権は、全てを聞かされていた。
孫策や周瑜が、孫権だけには全てを語るべきだと周泰を諭したのだ。

遠呂智が古志城に倒れた後、命懸けの演奏を終えた咲良は呂布に連れ去られ、忽然と姿を消した。
孫権はすぐに、咲良を捜索するために兵を出陣させようとしたが、取りやめられてしまった。
己の役目を果たした咲良が、世界と別れを告げねばならなかった…、それは、変えることの出来ない定めだったのだ。
弱々しく涙を流し、別れを切り出した愛しい妻の姿を、周泰は忘れもしない。


 

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