愛を願う娘
「何だ凌統、子供の世話をしているのか?」
「と、殿!?どうして此処に…!?」
「ん?視察だよ、視察」
凌統は手にした林檎を落としてしまった。
あろうことか、最も出会いたくなかった男…周泰を引き連れ、城下に視察に来たらしい孫権が、人好きの良さそうな笑みを浮かべているのだ。
周泰は相変わらずの無表情だが、その目は一生懸命に果物屋の手伝いをする娘を見ている。
これは、まずい、大変だ。
きちんと殿の予定を把握しておくべきだったと、凌統は頭を抱えるが、落ち込んでもいられない。
(千春ちゃんの姿を見られたら、面倒なことになりそうだ)
落涙と周泰の娘…とは言え、外見は落涙、もしくは弟の黄悠をそのまま幼くしたようなもので、周泰の面影はほぼ無い。
だが、落涙の血縁者だとは気付かれてしまうかもしれない。
違和感を持たれる前に、千春を連れて此処を立ち去らねば。
落涙が自分の口で伝えるべきこと、娘の存在を…、知られる訳にはいかないのだ。
「いやあ、知り合いの子を預かっていましてね…今日はもう連れて帰りますんで…」
「凌統おにいちゃん?」
適当に言い訳をして逃げ出そうとしている最中、背に声をぶつけられ、凌統は笑顔を凍り付かせた。
手伝いを終えて戻ってきた千春は、事情が飲み込めずに小さく首を傾げている。
やばい…と本格的に背筋がひやりとした。
凌統は千春を抱きかかえようと手を伸ばしたが、先に孫権が手を出し、目線を合わせて千春の髪を撫で始めたため…、逃げ道を失ってしまった。
「手伝いをしていたのか、良い子だな」
「……、」
千春は呉帝を前にしても全く物怖じせず、だが驚いたように目を丸くして孫権を見つめている。
きっと、孫権が国で一番偉い男だと知らないからじっとしていられるのだろう。
千春が何か無礼を働くとは思わないが、万が一と言うことも考えられる。
凌統は後ろから千春を抱きかかえたが、彼女は何故か興奮した様子で、頬を赤く染めていたのだ。
「凌統おにいちゃん!あのおじちゃんのおひげ、まっかだよ!おめめも、きらきら…ほうせきみたいにきれい!」
「千春ちゃん…!」
一国の主相手におじちゃん、とは何事だ。
赤髭に碧眼、確かに珍しいが、それを本人の前で指摘した者など見たことがない。
邪気の無い笑顔で喜ぶ千春を責めることも出来ず、凌統は混乱の極みの中、急いで孫権に頭を下げる。
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