安らぎの在処
(私は、どうしたら良い…?幼平様…)
ようへいさま、と声にならない声で、愛しい男の名を呟く。
胸に下げた首飾りの輝きだけは、未だ色褪せないと言うのに。
甘寧が戻ってくるまでの僅かな時間が、途轍もなく長く、途方もないものに感じられた。
夜も更け、物音一つしない静かな部屋に、二人分の足音が近付いている。
鈍い音を立てて戸が開けられた時、咲良は懐かしい顔を見た。
甘寧と連れ添ってやって来たのは凌統で、咲良の顔を見た途端、彼はまず驚くも、すぐに人の良さそうな笑顔を浮かべる。
「いやあ、たまげたよ。甘寧のくだらない冗談かと思えば…まさか本当だったなんてな」
「お久しぶりです、凌統さん…」
「ああ、久しぶり。って言っても、俺にとってはひと月ぶりなんだけどね」
此処に来るまでに、甘寧から大方の話を聞かされたらしい凌統は、肩を竦め、気取った笑みを見せた。
咲良と凌統が最後に顔を合わせたのは確か、小谷城だったはずだ。
戦場で別れたきり、再会も叶わなかった…、彼もまた、大切な友人である。
こんな夜中に呼び出された凌統は、初めこそ半信半疑で、甘寧に引きずられるようにして渋々、邸に訪れたのだろう。
だが、咲良のほんの少しだけ大人びた姿に、凌統は全てを察し、受け入れてくれたらしい。
「…前々から落涙さんは不思議な人だと思っていたけど、まさか五年も先に進んでいたなんてなぁ…」
寝台に横たわる幼い娘をひとしきり眺めた凌統は、やはり信じられないと言ったふうに肩を竦めた。
一人の母親となり、未来の倭国から舞い戻った咲良。
ひた隠していた重大な事実を知らされても、凌統は以前と態度を変えずに接してくれる。
「殿がさ、古志城から姿を消した落涙さんの捜索を、早々に打ち切ったんだ」
「孫権様が?」
「孫策殿も周瑜殿も、呂布に連れ去られた落涙さんについて、何も語らなかった。ただ苦しそうな顔をするだけでさ。だから、落涙さんはもうこの世に居ないんだって…感付いている奴も居たはずだ」
そこの馬鹿は疑問も持たなかったみたいだけど、と笑う凌統だが、甘寧はへっと鼻を鳴らし、そっぽを向いた。
咲良の事情を知っていた孫策や周瑜なら分かるが、孫権が捜索打ち切りの命を下すのは些か不自然である。
恐らく、その二人か周泰が、孫権に真実を打ち明けたのだろう。
呉の君主であり、落涙の義父であった孫権には、全てを知る権利があるはずだと。
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