命と情の狭間で




その瞬間、俺様は目を疑った。
幻覚を見ているのかとさえ思った。
信じられなかったんだ、信じたら天変地異のような何か恐ろしいことでも起きてしまうのではないかと不安にかられる、それほどの衝撃を受けた。


『こ、怖かった…』


何があったっていうの?
姫様はこれぐらいで泣くような弱い女だった?
俺様が知る桜姫様は、無感情で、能面顔で(可愛らしい顔立ちをしているのに勿体無いと思った)、誇り高い完璧な姫(を演じている?)…なのに…俺様に抱きついてくるなんて!

後から、姫様に手を出した奴らに対し、ふつふつと怒りが沸き上がってきた。
姫様の前だから見逃した訳だけど、非道な手段でなぶり殺してやりたくなった。

冷たい硝子のような瞳しか、知らなかった。
溢れる涙は頬を伝い、細い肩は震えていて…本当に、姫様は恐怖に怯えていた。

…いや、これが演技だとしたら。
今まではわざと下手な嘘をつき、俺様を油断させていたのかもしれない。
疑い深いのは忍びの性だから、致し方ないだろう。


記憶を無くしたのかと問えば、曖昧な肯定が返ってきた。
状況を理解できない不安に押し潰されそうで、困り果てている姫様。
記憶が無いのは嘘ではないけど、他に別の隠し事をしている…ってところだな。

ひとまず名を教え(何故か異様なほど驚かれた。俺様傷付いちゃった)屋敷に戻るまでの間も、悲痛な面持ちで、彼女は何度も目頭を押さえていた。
やっと止まったはずの涙も、再び流れてしまうのでは、と…姫様の表情を見ていたら、妙な気持ちになった。


(惑わされるな。この娘は…桜姫様本人とは限らない)


仮定を立てれば、同時にキリのない疑問が生まれてくる。
以前の姫様とは真逆で、感情を隠そうとしないこの少女は、桜姫様に姿を変えた敵国の忍びではないか。
仮に姫様が本当に記憶を無くしたとしても、誰かと(すぐに思い付くのは北条の雇われ忍びだった)共謀し、やはり油断をさせるために甲斐に侵入しようとしているのでは。



 

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