生命の鼓動



直接会って話すことは叶わないが、小太郎は度々森を訪れ、気配を悟られない距離から桜を見ていた。
桜が森へ足を運ぶ間隔はまちまちで、彼女の姿を見つけるとおかしなほど胸が騒ぐのだ。

そして同時に安心する。
桜はまだ死んでいない。
他の誰にも、手をかけられてはいない。



秋も深まり、森の色も夕陽と同じように鮮やかに色付いた頃。
突如、異変は起こる。

桜姫が北条の兵に追われていた。
氏政の命ではなく、彼らの独断だろう。
姫を捕らえば使い道はいくらでもあるし、功績を讃えられる。

この場合、小太郎が桜を救うことは、褒められた行動ではない。
理由はどうであれ、兵は国のためになる行いをしている。
それでなくとも、氏政は甲斐・越後に攻め入ることを決めたばかりだ。
小太郎が邪魔をし、逃げる敵国の姫に手を貸したら、氏政にも逆らったと見なされるだろう。

…と考えていた矢先、近くに感じたのは殺気。
気配を隠そうとしない、むしろ自分の存在を周囲にしらしめているかのような。

猿飛佐助だ。
甲斐に身を置く奴が桜を助けに来たのなら、小太郎が行く必要は無い。

桜が記憶を無くしたらしいと聞いたのは、翌日のことだった。



今の小太郎は、桜に手をかけようとは思っていない。
だが、最後にもう一度だけ、会いたかった。
記憶を失ったとしても、桜は桜だ。
もう一度だけ…、名前を。
名前を呼んでくれたなら、未練無く戦へ行ける。
命を氏政のために使うことができる。


猿飛佐助が偵察で甲斐を離れた日を見計らい、小太郎は桜の元へ赴いた。
様子を見るために、彼女がこもっていた道場の外に赤い花を置く。
それを見つけた桜は…幸せそうに、とろけそうな笑顔を浮かべたのだ。

見たこともない笑顔。
小太郎の心をかき乱すには充分な毒。

いけないと、思った。
桜の笑みを間近で見たなら、平静を維持するのは不可能に近い。
何を、どんな卑劣なことをするか分からない。
自分に人間らしい感情があったのも驚愕だが、ここまで卑しい欲を桜に向けていた事実に今まで気が付かなかった。


会うことは断念した。
だからもう一度だけ姿を見に行こう、と妥協し、雪の降る日。

桜は小太郎を追い、足を踏み外した。



震えて泣きじゃくる桜姫。
抱き締めた体は相変わらず細かったが、涙する表情は初めて見た。
それは死が怖かったと、死にたくはなかったのだと小太郎に訴えていた。

まるで別人のようだ。
でも、小太郎はそれでよかった。
桜姫と向き合っている、その時はただそれだけで、夢のような心地でいられた。


以前の桜は伝説の忍び、風魔小太郎が声を失っていることを知っていたようだが、やはり記憶が無いらしい。
喋れないのだと、動作で伝えれば、彼女は悲しそうに目を伏せる。
今まで泣いていたかと思えば、ふわりと微笑み、甘い声で"小太郎"と呼ぶ。

強く抱き締めて、自分以外の誰の手も届かない場所に連れ去ってしまいたい。
…生まれて初めて知った、この感情が、愛しさというものだった。

声があったなら、彼女の名を呼べたのに。
溢れ出しそうな想いを声に出せた。

愛してる、とは言わない。
桜が生きてくれさえすれば、それだけで、幸せだった。



END

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