生命の鼓動



小太郎は片手で細い首を鷲掴んだ。
血の流れを感じる。
とくとくと、彼女の動脈を流れる血液。
少しでも力を込めれば、いとも簡単に息の根は止まるだろう。

勢いよく桜を押し倒したが、ぬかるんだ大地が受け止める。
馬乗りになり、鋭い刃を心臓目掛けて、振り下ろした。


黒々とした瞳は、真っ直ぐ小太郎を見た。
桜には後悔も躊躇もない。
桜が望んでいるのは、死のみ。


「……殺せ、早く」

「……、」

「殺してくれ…何を躊躇う必要がある?」


首を絞めていた手も、小刀を持つ手も震えた。
何故、何故。
このような小娘一人、殺せない…?


「良いから、早くせよ…此処は甲斐に近い。誰かが異変に気付き私を探しに来るやもしれぬ。私の亡骸と共にそなたの姿が見られでもすれば、どうなるか分かるであろう」

「……、」


漸く、彼女を殺せない理由が分かった。
命乞いをしないのだ。
浅ましくも許しを請い、醜く生き延びようとした今まで手にかけた人間とは違う。
死を望んだ者は一人も居ない。

その顔を恐怖に歪め、助けを求め泣き叫べば殺してやる。
でなければ、生にすら興味の無い、死に憧れる少女を殺せはしない。

止まることが無い、雨音がうるさい。


「あい分かった。そなたが私を殺す気になったなら、再び此処の森へ来るがいい。次は、覚悟を決めて会いまみえようぞ」


桜はやはり表情を変えずに、小太郎を押し退けると、濡れた着物を汚す泥を払った。


「違っていたらすまぬが、そなたは風魔の小太郎…であろう?そなたの周りは風が優しい」

「……、」

「…小太郎、良い名だ」


二度と顔を合わせることはない。
忍びが女に心を奪われるなど、あってはならない失態だ。
ただ、雨が止むまでは。
小太郎は後ろから桜を抱き締め、抵抗もせず、静かに腕に収まったままでいる少女のあたたかさを噛み締めた。



…二度と会わないと。
会うこともないのだと、そう、自分に言い聞かせてきた。

彼女を忘れることなど容易いはずだった。
数え切れないほどの人間を殺し、血に染まる日々が続けば、余計なことを考えずに済む。
ただ時折、赤黒い液体の滴る己の手を見ては、桜姫の血は美しいのだろうか、と妄想した。

再び桜と顔を合わせたら、その時は彼女を殺さなければならない。
桜が望んでいるから。

小太郎はどう足掻いても桜を殺せない。
誰にも明かせない、唯一の、弱点。
彼女が北条の姫では無くてよかったと思う。


 

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