目に見えぬもの
ごくっと唾を飲み込んでも、喉はからからに渇いたままだった。
ひとまず、落ち着かなければ…、妙なことを口走って、墓穴を掘ったら取り返しがつかないぞ。
オレは平静を装い、自然に笑っておいた。
幸い、信玄様は怪しんでいないみたいだ。
信頼してくれているからだと思うと、少し心苦しい。
「私が…、変わることができたのは、何も分からない私に、手を差し伸べてくれた皆さんのおかげなんです」
…佐助さん。
信玄様も幸村様も、最初は躊躇っていたけど、桜を見捨てずに守ってくれた。
本当に、優しい人達。
だからこそ、隠しておきたいんだ。
桜を受け入れてくれた皆を騙しているのは辛いんだけど、できることなら、嘘を貫き通したい。
役目を果たしたら、黙って消えたいんだよ。
オレが居た証なんて残しちゃいけない。
桜だけがオレを覚えていてくれれば…それでいいんだ。
「…つぎは、わたくしのしろへあそびにおいでなさい?たくさん、おはなしをいたしましょう」
「はい…、必ず」
オレの想いを察してくださったのか、謙信様はそれ以上追求せず、柔和に微笑んだ。
毘沙門天…だっけ。
謙信様はただ単に洞察力が鋭いだけなのか、不思議な力…、たとえば未来を予知できる、エスパーのような能力を持っているのかもしれない。
でも、謙信様を恐れる理由にはならないよ、この人は一度も、桜を悪く言ったりしなかった。
「ふふ…しんげんのむすめならば、わたくしのむすめにもかわりありません。いままでがまんをしたぶん、わたくしにも、たくさんあまえていいのですよ」
「これ、謙信…」
「さくらはわたくしのむすめ。しんげん、いろんはないですね?」
「…うむ」
訂正させてくれ。
個人的な希望だけど…女性だったら良いな。
だってさ、信玄様と並ぶと、仲睦まじい夫婦に見えちゃう、んだ。
信玄様もまんざらではないみたい。
むしろ…喜んでる?
髭に触れて誤魔化してるけど、頬が赤くなってるよ。
そっか…、好きなんだなあ…
ライバル、友達として、桜のもうひとりの両親としても。
そういうのって、なんかいいな。
「ありがとうございます。そのお言葉だけで、私は幸せです…」
桜は、幼い頃から謙信様と顔を合わせていて、でも、素直になれなくて。
謙信様はちゃんと、見ていてくれたんだ、オレの存在すら見透かしてしまうぐらいに。
そして今も、こんなに優しい。
なんて言うか…本当の母親みたいだよな。
桜、お前がひなたの世界に帰る日が来たら、思う存分謙信様に甘えちゃえよ。
甘えたって…桜なら、許されるよ。
[ 118/198 ]
[←] [→]
[戻]
[栞を挟む]