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 冷たい石畳に座って悄然とうなだれる有間に、アルフレートは無言で近付いた。諭すこともせずに隣に座る。
 肩が触れ合うとぴくりと痙攣した。

 何か声をかけたいとは本心なれど、アルフレートは東雲朱鷺将軍については風の噂でしか知らない。どんな人柄だったのかも、有間に対して真実何を思っていたのか、分かる筈もない。そんな自分が下手な言葉をかけることは許されない気がした。
 任せろと言いつつ、大したことが出来ない己を恥じ、アルフレートは俯き目を伏せた。

 東雲将軍の妹がベルントと協力する形でこのカトライアに来ていながら、ベルントに反旗を翻してマティアスの側に付いたことはアルフレートとしても予想外であった。

 手紙でもたらされたヒノモトの人間がマティアスに味方したという報せには勿論疑問と懸念を抱いた。東雲鶯がベルントに従っていたということは、ヒノモトがベルントに協力の姿勢を見せたということだ。それを裏切って何の得がある? マティアス達は今や窮地に追い込まれている。手を貸すのが下策であることにくらい、気が付きそうなものだ。

 鶯のベルントに対する裏切りがヒノモトの総意だとは思えなかった。ヒノモトの指示であれば、有間達邪眼一族を助ける為などと胡散臭い理由を付けるとは到底考えられない。もっと別の名分を持ってくる筈。

 鶯という人物を少々見定める必要があるかもしれない。
 ……有間の為にも。
 膝に顔を埋めて沈黙する有間を見下ろし、アルフレートは隻眼を細めた。

 今、彼女はさぞ苦しいだろう。混乱しているだろう。
 有間にとって東雲朱鷺は大きな傷に違い無かった。その妹の容姿にすら過敏に反応してしまうのだ。今もなお、彼のことは記憶に鮮明に残っているのだ。

 有間は、ここに置いて行った方が良いのかもしれない。有間の代わりに鶯を連れてローゼレット城に潜入すれば――――有間がティアナと共にこの地下室に隠れていてくれれば、マティアスやクラウス、そして自分も安心して事に専念出来る。
 アルフレートは有間を呼ぼうとして、彼女が顔を上げたのに口を噤(つぐ)んだ。

 心臓が跳ね上がった。

 正面の壁をじっと見据える有間はぞっとする程に冷たい無表情だった。
 何もかもを己が内に押し込めて押し潰そうとしているような、見ている者に不安を抱かせる何も無い顔だ。
 ぞわりと悪寒が走るのを感じて、アルフレートは有間を呼んだ。声が掠れてしまっていた。
 我知らず手を伸ばした彼を拒絶するように、有間は口を開く。


「本当はさ、気付いてたのかもしれない」

「……アリマ」


 笑っていたんだ、あの人の死に顔。
 有間は真っ黒な両手を顔を前に上げ、甲の文様を見る。


「これ、ヒノモトでは手に悪霊を封印している風に見えているんだって。そう見えるように、父のフリしたあの人がそうしたんだ。普通の人ならそんな手には触れたがらないよね。……でも、東雲朱鷺は違った。何かに気付いてさ、一瞬だけ泣きそうな顔をしたんだ。何か辛いことでも思い出したみたいな、そんな感じ」


 有間曰く。
 有間が初めて東雲朱鷺と出会ったのは、最も古い街道四大街道の一つ、ヒノモト北部の淡雪街道の途中で旅人の為に作られ小さな宿場町だった。たまたま鯨達とはぐれた有間は誘拐されそうになったのを東雲朱鷺に助けられた。彼には、迷子であるからとあれこれ世話を焼かれたそうだ。

 最初こそ普通の子供のようにお菓子などをくれたけれど、有間の手袋を見た途端に態度は一変した。
 過保護になり、極端に人の目を避けて一緒にいた有間の父親を探そうとしてくれた。宿場町の治安維持の為に駐屯する兵士達にも隠れて、だ。

 小さくても宿場町。だが、その日は運悪く有名な芸人の一座が訪れ大道芸を披露していた為に、路地裏からではなかなか見つけられなかった。

 夕方になると朱鷺は己の泊まる宿へ有間を連れ込み、夕餉までくれた。

 寂しくないようにと色んなことを話しながら、甲斐甲斐しく面倒を見てくれた朱鷺を、有間は一切信用していなかった。ただ、身を守る為に彼を利用することに決めただけ。その頃すでに、有間は極度の人間不信だった。

 夜になってからも、朱鷺は宿の主人や客人に訊いて有間の連れを探してくれた。有間が邪眼一族であることに気付いていたのなら、部屋から連れ出さずにいたのは有間が邪眼一族だと知られない為の彼なりの配慮だったのだろう。

 宿屋でも情報が集まらぬと見た朱鷺は有間に部屋から出ないように言い聞かせ、宿を出て情報収集に向かった。

 それが、いけなかった。

 かの五大勇将の一人が宿場町に泊まっているとすれば、駐屯する兵士達の管理を任された武将が挨拶をしない訳がなかった。
 そして非常に運の悪いことに、その武将はかつて有間達邪眼一族の討伐に参加し、有間と相対したことのある人物であった。
 顔を合わせた途端に武将は有間が邪眼一族であることを見抜き、斬りかかった。

 命辛々逃げ出すも、邪眼一族とは言え幼い子供が鍛錬された武将を撒ける筈もなく。
 宿場町を出たところで捕まって首を絞められた。


「――――その時、何かを言われたんだと思う。言葉だけが記憶に無くてさ……ただ、本当に腹の立つこと場を言われたってことは覚えてる。その後うちはそいつを殺したのだもの。目の前が黄色になって、収まったらもうそいつは頭を握り潰されて事切れていて、うちの右手は真っ赤で、肉と血が沢山付いてて……東雲朱鷺が来たのは丁度その時だよ。彼は駐屯兵を連れてうちとその武将のところにやってきた」


 だから、殺した。
 全員殺してやった。
 小馬鹿にしたような、荒んだ笑みはグロースの丘で見たそれに似ていた。
 有間は前髪をくしゃりと握り、口角を歪める。


「殺した後、騒ぎを聞きつけたベリンダさん達がうちを見つけてさ、暗いうちに早く去ろうって話になって――――あいつの顔を見たんだ」


 有間は頭を抱えた。呻くように、苦しげに言葉を続けた。


「穏やかで、まるでうちが皆と合流出来て良かった、みたいな、そんな風に笑ってたんだ。殺したのはうちなのに、あっちはうちに殺されたのに、おかしいだろう? ――――何であんな顔をしたのか今でも分からない。うちに、うちに殺されておいて……心臓をうちの右腕に貫かれて死んでおいて!」


 がりっと、音がした。
 有間の爪が頭皮を抉ったのだ。
 アルフレートは即座に両手を剥がして有間の身体を抱き寄せた。彼女の身体は、恐慌状態になりかけている所為か、小刻みに震えていた。

 東雲朱鷺のことが、トラウマになっているのだ。


「アリマ、落ち着くんだ。何も考えなくて良い。ヒノモトのことは何も考えるな」


 背中を撫でながら、努めて優しく言い聞かせる。
 有間の震えが収まるまで、アルフレートはそうし続けた。



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