人気の失せたカトライアの街並みは侘びしかった。
 かつての日常的な活気は跡形も無く、まるで綺麗なまま残る廃墟だ。

 その行き慣れた道を、有間は姿勢低く全力で駆け抜けていた。
 有間だけではない。時に勢いに乗って壁を走るなどと言った芸当を見せる彼女にしっかりとついてくる狼が一匹。隻眼であっても狼が有間の姿を見失うことは一度たりとて無かった。

 有間はやがて、速度を落とす。とある店の前で止まった。
 周囲を窺いながら扉を開け滑り込むように狼と共に店の中へと入り込む。

 中は荒れていた。薬瓶の転がった床に点々と血痕が見受けられる。

 扉を閉めてほっと息をつくとすかさず手印を切りながら何事か呟いた。


「……うし、解呪完了……っと」

「すまない。身体は大丈夫か」


 狼が――――ファザーン第二王子アルフレートが顔を覗き込んで問いかける。

 有間はそれに苦笑を返しておどけたように肩をすくめて見せた。


「何とかね。久し振りに壁走ったよ。逃亡生活以来かな」


 有間は両手を軽くはたき、カウンターを飛び越えて地下室への扉を開いた。顎で示しアルフレートを促す。アルフレートの後自らも階段を下りて扉を落とした。
 冷たい石の階段を降りると、木製の扉が見えた。

 それを開こうとせず、アルフレートと顔を見合わせてノックする。

 ややあって、内側から扉が開け放たれ、見慣れた姿が現れた。
 眼鏡の奥の思慮深い瞳に警戒の色が窺えたのは一瞬のこと。すぐに吐息を漏らして身体を横にずらした。



「……ただいま」

「どーも」

「アルフレート、アリマ……! 良かった、無事だったのね」


 ベッドに腰掛けていたティアナが、安堵したような笑みを浮かべて駆け寄ってきた。有間の上腕の血に気が付いて青ざめたが、すぐに鯨に治してもらっていると伝えた。
 そしてアルフレートと部屋に入ると、ベッドで寝ていたらしいマティアスが上体を起こした。ベッドを降りようとするので、アルフレートが小走りにベッドに近付いた。

 有間とアルフレートがこのカトライアに戻るきっかけを作ったのは、あのティアナの側に付いていたシロフクロウのもたらした手紙だった。
 ベルントの裏切り、マティアスの負傷、ヒノモトの将からの思わぬ助け、ルシア達の状況について言葉少なに簡潔に書かれてあったが、それ故に如何に状況が逼迫(ひっぱく)しているかを彼らに伝えた。

 マティアスの容態について文面からは不透明であった為、手紙を読んだそのすぐ後に、二人は鯨に軍を託して急いで戻ってきたのだった。ヒノモトの将に助けられたという点に、有間もアルフレートも強い懸念を感じたけれども。


「すまないな。呼び戻されるのは不本意だろうが、状況が状況だ」

「怪我をしたと書いてあったが、大丈夫なのか!?」

「心配するな、たいしたことはない。それより、兵士たちはどうした。イサ殿も、姿が見えないが」


 有間は肩をすくめた。


「あの人は、ルナール、ファザーン正規軍の中に紛れたヒノモトからの刺客を片付けるって。こっちにまで連れてきたらやりづらいだろ?」

「兵士達については言われた通り、投降させた。元々友軍だ、危害が加わることはないだろう」


 マティアスはほうと吐息を漏らし、薄く笑った。


「そうか、ここまでは計画通りだな。だが、ヒノモトの刺客とは……やはりアリマとイサ殿を狙ってか」

「まあね。この傷はルナールにやられたけど、ルナールにヒノモトの刺客が協力しているってのがあの人の見解」

「イサ殿のことなら、心配は無いだろう。彼は多分オレよりも強い。無事に合流出来る筈だ」

「そうそう。……しっかし、考えたね。獣姿なら確かにバレない。うちは獣にはなれないから幻覚使ったけど」


 アルフレートの頭をぽんぽんと叩き、したり顔のマティアスに言う。


「この呪いを利用すれば、俺たち二人でローゼレット城に潜入することも容易いだろう」

「呪いを利用して、ローゼレット城に……?」


 そこで、クラウスが有間へと椅子を引いてくる。有り難く座らせてもらった。

 マティアスはベルント達に呪いが知られていないことを逆手に使うつもりだった。
 有間は姿を幻覚で消していたからだが、一匹の狼を見かけてもファザーン兵士は歯牙にもかけなかった。何処かの飼い犬が避難した飼い主と別れてカトライアをさまよっているとでも思われたのだろう。


「アルフレート。数時間後にここを出る。それまで休息を取ってくれ。……アリマ、お前にも協力してもらいたいのだが、構わないか」

「別に構わな――――」

「マティアス殿下。ただいま戻りました」


 背後で扉が開き、凛とした声が聞こえた。
 聞き慣れない声に振り返った有間は――――直後に目の前が真っ赤に染まった。

 その人物が、あまりにも見覚えのある髪の色をしていたからだ。
 空そのものの如き髪に黒曜の瞳は、有間にとっては忘れ得ぬ組み合わせだった。
 有間は衝動のままその人物に躍り掛かった。驚くその人物の首を捉え階段に叩きつける。


「ぁが……!!」

「アリマッ!! 何をして――――」

「一族の敵討ちにでも来たのか!?」


 お前東雲朱鷺の身内だろ!!
 激昂した有間は、首を絞め上げながら青ざめた彼女にまったき敵意を向けた。



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