ティアナ達が落ち着いた場所は、薬屋の地下だった。
 入り口をしっかりと閉めて部屋の奥にあるベッドにマティアスを寝かせた。

 鶯の手も借りて手当を終えたティアナは、マティアスの髪を切り揃えつつ彼の蒼白となったかんばせを不安そうに窺った。
 運び込んだ後も気を失っていた彼は、手当のさなかに目を覚ました。以後は、口を真一文字に引き結び一言も発しないでいる。心中では、様々な思いが巡っているだろうに、鶯がいる所為かそれを表には欠片も出さなかった。

 やがて、外の様子を確認していたクラウスが戻ってくる。


「……どうだ、傷の具合は」

「出血の割には、そんなに深くはないみたい。ウグイスさんにある程度は治してもらったし。だけど、しばらくは安静にしててね、マティアス」


 声をかけても、彼は視線すら寄越さなかった。天井を見上げたままだ。

 そんな彼に、クラウスは静かに問いかけた。


「……なぜ気づかなかった?」


 そこでようやっと、視線がクラウスへと動く。


「なぜベルントの裏切りを阻止できなかった。さすがのお前も、情で目が曇ったのか」


 マティアスはゆっくりと上体を起こした。すかさずティアナがその身体を支えた。傷が心配だが、彼は真っ直ぐにクラウスを見据え、ティアナの手を剥がしてしまう。拒まれたようで、少しだけ寂しかった。


「お前に言われずとも、失態の責任は取る」


 言って、ベッドを降りる。
 ティアナが慌てて止めるもやんわりと、しかし強い力で押し退けて入り口へ続く階段へと向かう。

 それを、クラウスと鶯が並んで立ち、行く手を阻んだ。示し合わせてなどはいない。ただたまたま同時に動いたようだった。


「その身体でベルントに会う気か? 勝ち目のない戦いを挑むなども、前らしくもない」

「そこをどけ」

「出来ません」

「力ずくで排除したらどうだ? もっとも、手負いのお前に後れを取るほど、俺も鈍ってはいないが」


 マティアスは舌を打った。己の身体のことなど、己が一番よく分かっている。
 悔しげに、憎らしげにクラウスを睨むマティアスに、鶯が口を挟んだ。


「あの――――」


 少しよろしいですか。
 そう確認を取った直後、クラウスに異変が起こる。


「え、あ……」

「! しまっ――――」


 クラウスが口端をひきつらせたのと、全身が強烈な光に包まれたのはほぼ同時だった。
 三人は目を庇い、光をやり過ごす。

 だが、光はなかなか収まらない。今回は何故かいつもよりも長かった。

 どうしてだろうと、ようやく収まった頃に目を開けて腕を下ろす。
 そして、光が収まるまで時間がかかった理由を知った。


「クラウス……マティアスまで」


 僅かな時間差で、マティアスも薬が切れてしまったのだった。
 不機嫌そうな鼠とライオンが、そこにいる。


「薬が切れたのね……」


 独白したティアナは鶯のことを思い出して慌てて彼女を見やった。

 彼女はさぞ驚いただろう。人がいきなり動物になったのだ。しかも片方は獰猛な肉食獣。警戒して武器を出したとしてもおかしくはない。

 攻撃される前に誤魔化すか本当のことを正直に説明するか――――迷うことも無かった。


「か……可愛い……っ」

「え――――あ、あれ?」


 鶯は両手で赤らんだ頬を隠し、二匹の動物達を見比べていた。僅かに潤んだ瞳には先刻までの凛々しさは無く、熱いものが奥に揺らめいていた。まるで、恋する乙女のような様であった。

 てっきり警戒しているとばかり思っていたティアナは肩透かしを受けて目を瞠り、まじまじと鶯の様子を窺った。……ここに有間がいたとすれば、ティアナもあんな顔してる時あるからね、とさり気なく言っただろう。

 暫し熱視線を動物――――主に鼠――――に向けていた彼女は、ティアナと居心地悪そうな動物達の視線が集まっていることにようやっと気付き、居住まいを正した。コホンと咳払いを一つして、「これは一体どういうことでしょうか」と今更ながら武人然として訊ねた。気恥ずかしさから、未だに頬は赤かった。

 ……可愛い動物が好きなのね、きっと。
 意外と付き合いやすそうな鶯に心の隅で安堵して、ティアナは動物達がマティアスとクラウスであること、そして呪いにかかっていることを説明した。

 鶯は無下に一蹴することも無く、聞き手に徹してくれた。話を終えても否定されず、「なるほど」と納得してくれた。


「ベルント殿の前で薬の効果が切れなかったのは幸いでしたね」

「ええ、そうね。……ってマティアス、駄目!!」


 こちらの隙を突き、部屋を出ていこうとしたマティアスにティアナは声を張り上げた。咄嗟の判断で笛を持ち、思い切り吹いた。

 途端にマティアスは身体を揺らしてその場に腹這いになる。傷に響いて呻き声がした。


「マティアス! ごめん、大丈夫……!?」


 驚いている鶯には後で説明することとして慌てて駆け寄るティアナにマティアスは恨めしそうな視線をやった。

 その頭をそっと撫でて、彼女はマティアスを説得する。こんな身体でベルントに会いに行けば、きっと彼は死ぬ。それが怖くて怖くて仕方なかった。
 それに、ここでマティアスが死んでしまえば自分達も、ルシア達もどうすれば良いのか分からない。分からなくて、何も出来なくなってしまう。自分なんて、ややもしたら……。
 想いを乗せた言葉を尽くして説得すれば、彼は感じ入ったようにティアナの言葉を呟き、暫し思案した後にこくりと頷いて説得に応じてくれた。

 ほっと胸を撫で下ろしてマティアスをベッドに戻そうとしたティアナは、ふと鞄の中にしまってあった鏡が音を発したのに気付いて手を止めた。取り出して鏡面を覗き込むと、何事かと鶯がティアナの横に顔を出す。


「これは?」

「ええと、今訳あってルナールにいる皆と連絡を取る為の鏡なの」


 詳しい説明はまだしていなかった為に簡略的にそう説明すると、「このような道具が、カトライアにはあるのですね」と感心された。……本当は、違うのだけれど。

 鏡面に映し出されたのはエリクの顔だった。狼狽した表情は汗ばみ、彼らの状況もよろしくないと暗に伝えている。


「ティアナ! マティアスは?」

「大丈夫。無事とは言えないけど、命には別状ないわ」

「……そう、良かった」


 エリクは表情を和らげる。
 マティアスの顔だけでも見せようと彼の前に鏡を持って行けば、エリクももう一度良かったと同じ言葉を繰り返した。


「心配をかけてしまったな。だが俺はこの通りピンピンしてる。それより、一体何があった?」

「おいエリク、ちょっと代われ!」


 ルシアの声がして、エリクの顔が消えた。代わりに浮かび上がったのはルシアの顔だ。彼もエリクと似たような、切羽詰まった表情をしていた。


「そっちも大変かもしれねーけど、こっちも相当酷ぇ目に遭ってるぜ」

「え? な、何があったの!?」

「ああ、もうめちゃくちゃだ! はっきり言ってワケがわからねぇ」

「状況を把握したい。順を追って話せ」


 マティアスの声が一段と低くなる。

 ルシアは頷いて、重そうに口を開いた。



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