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彼女はファザーンの第二王子アルフレートと共に街道を歩いてきた。
やや透けた浅葱色の被衣で身体を覆い、アルフレートに手を引かれて前方に物々しく陣を引く軍にへ向かっていた。
足取りは少年めいた身形とは正反対に粛々と、女性らしくたおやかだ。
アルフレートは無表情を貫き、軍の最前列――――騎馬兵達の前に立つ騎士の前に立った。
「……そちらの指示通り、イベリス殿のご息女をお連れした」
ルナールの騎士は、鼻を鳴らして被衣に隠れた少女を一瞥する。まるで汚物を見るかのような、蔑む眼差しだ。とても、皇帝の姪の忘れ形見を見るようなそれではない。
実際、騎士は少女を塵のようにしか思っていなかった。
イベリスは皇帝の血筋でありながら国を棄てたのだ。しかも汚らわしい邪眼一族の男と恋に落ちて。
軽蔑しない者などおるまい。ここに来て彼女を迎え入れたのだって、そう言った指示があったからだ。でなければこのようなこと、自ら進んでやる筈もない。
騎士がぞんざいに被衣を剥ぎ取ると、眩(まばゆ)い白髪が日の下に曝される。
その瞬間騎士は目を剥いた。
雪のような純白の髪に、紫色の大きめの瞳。
そして骨格と、顔面のバランス。
その少女はイベリスと瓜二つだった。
「なんと……」
思わず漏れた驚嘆の声に、少女が顔を上げ、にこりと微笑んでみせる。靨(えくぼ)も肖像画のイベリスにそっくりだ。
母子でこんなにも似ているものなのか。
騎士はまじまじと少女を凝視する。
ヒノモトでは汚れた化け物と蔑まれる邪眼一族の娘であるというのに、この滑らかな柔肌に、淡く色づいた唇。長い真っ白な睫毛はまるで降り積もった雪のよう。
魅とれていたのかもしれない。
気が付いた時には目が離せなくなっていて、紫色の瞳に吸い込まれるように、自然と手を伸ばした。
……その時である。
騎士を戒めるかのように軍馬達が一斉に嘶(いなな)いた。
‡‡‡
至る所で兵士達が悲鳴を上げる。ぎょっとして振り返れば全ての軍馬が前足を上げて兵士を振り落としていた。
「な……どうした!?」
「わ、分かりません! いきなり馬達が暴れ出して――――う、うわぁあぁぁ!!」
首にしがみついて報告していた兵士も、落とされてしまった。
軍馬達は身軽になると各々駆け出した。
行く先はルナール軍の前方――――ファザーン・カトライア連合軍の陣だ。
待て、と怒鳴っても彼らは止まらない。
「何事だ!? 何故軍馬達が勝手に動き出すのだ!?」
青ざめて兵士を怒鳴る騎士。
けれども彼は、言葉半ばで沈黙した。
……笑声が聞こえる。
少女の笑い声だ。
騎士の周りで少女と言えば、イベリスの娘だ。
まさかこの邪眼一族の血を引く少女が何かを仕掛けたというのか?
少女を振り返ると、彼女はアルフレートに背に庇われて口を押さえていた。肩が震えている。俯いて表情を見せないようにしているが、笑っている。こちらを嘲っている。
謀られた!!
騎士は顔を真っ赤にして剣を抜いた。振りかぶって一歩前に乗り出した。
だが、即座にアルフレートに双剣で軽々と弾き飛ばされてしまう。指先から肘の辺りまで鈍い痺れを残し、騎士の相棒は離れた場所に深々と突き刺さった。
咽元に剣の切っ先を突きつけられて動きを封じられる。
「悪いが、連れてきただけで彼女をお前達に渡すつもりはない」
「ぐ、ぅ……!」
「いやーはっはっは。まっさかこんなに隙が生まれるとは思わなかったよ」
少女はけたけたと笑い、騎士に片手を振ってみせる。先程のイベリスによく似た微笑など何処にも無く、悪戯が成功した少年めいた、生意気で嫌な笑みを浮かべていた。
頭に血が上る、が……この状況では何も出来ない。
騎士は憎らしげにアルフレートと少女を睨んだ。
「たばかりおったな……!!」
「たばかってないたばかってない。そっちが勝手に驚いて隙を作ったからこんな風にあっさりと突かれただけだよ。良い年こいて自分の失敗を他人の所為にしてはいけないんじゃない?」
小馬鹿にした態度に、いよいよ騎士はいきり立つ。反撃もままならない自身が悔しくて仕方がない。屈辱だ。こんな罠にあっさりと引っかかるとは!
アルフレートは剣を引き、少女の手を引いて数歩後退した。
剣を取り戻そうと騎士が身体の向きを変えた直後に、二人と騎士の間に黒い影が飛び込んだ。
それは屈み込んだまま、重厚な声で、
「圧」
呟いた。
刹那、騎士の視界がぐんと下がった。
‡‡‡
「いやー、重畳重畳。あそこまであっさり隙を作ってくれるとむしろ物足りないっすねぇ」
頭が堅そうな壮年の騎士を化かしたことがそんなに爽快だったのか、有間は満足そうな笑みを浮かべていた。手を庇(ひさし)のようにして今はもう遠くに見えるルナール軍を見はるかした。
その隣には苦笑混じりのアルフレートと、呆れ返って目を半分に据わらせた鯨が立っている。
ルナール軍は、鯨が騎士と有間達の間に飛び込んだ時に発動された術によって地面に縛り付けられた。大地の引力を部分的に強めたそれは、鯨が編み出した、魔女と邪眼の混合術式である。効果は約一日。ただ、術者が側を離れればその時間は短くなる。
それに、すぐにでも応援が来るかもしれない。
有間達は警戒はそのままに、ルナール軍の動向を窺うこととした。
軍馬に落とされてしまった兵士達も打撲やら骨折やらで苦しいだろうが、こちらに侵攻してきた敵なのだから仕方がない。むしろ首の骨を折って死ななかっただけまだましだ。
「んで、ファザーンの正規軍が来る前にルナール側の援軍が来たら、どうするの?」
「その時も、イサ殿に任せてある。手筈はすでに整えてあるから心配無い」
「そう」
しかし、彼らがいともあっさりと罠にはまってしまったので、何だか肩透かしを食らった気分だ。軍とはこのように腑抜けたものだったっかとヒノモトの軍を思い起こす。
ヒノモトは軍律が非常に厳しい方だ。乱取りをほのめかすだけでも厳罰に処される。首を落とされる場合は見せしめとして、兵士達の前で、鋸(のこぎり)で切り落とされる。それでも違反者が後を絶たないのだから、人間とは相当欲望に忠実な生き物だと思わされる。
だが、大部分の兵士達はいつでも国の為にあらゆる警備を怠らない。強迫観念と愛国心が見事に調和して整然とした軍が生まれているのだ。特に五大勇将の率いる軍は等しく国民を第一と動くので、平民からも心から信頼を寄せられている。
ルナールやファザーンは、軍律はヒノモト程厳しくないのだろうか。
後で訊いてみるかと、有間は手の庇を下げた。
と、その時有間の頭に何かが乗る。
その重みにバランスを崩すとアルフレートが支え、あっと声を漏らした。
「え、何。ちょっとこれ何」
「……シロフクロウだ。イサ殿が、ティアナに付かせていた筈の」
えっとなって触ろうとすると、頭皮を引っかいて飛び立つ。白に黒い毛の混じった羽が幾つか視界の端を舞った。
頭を押さえてシロフクロウを追いかけると、それは鯨の伸ばした手に停まる。
首に、封筒に穴を開けてそこにネックレスのように紐を通した物がかかっていた。
「有間」
「あ、うん」
鯨に促されて手紙を取った有間は、その封筒に走った文字に目を軽く瞠った。
「……ティアナの字だ」
だが、いやに字が汚い。焦って書いたようで筆跡が荒くなっていた。
有間は首を傾け、封を切った。
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