「アルフレート……!」


 切迫した声が鼓膜を震わせる。

 アルフレートはゆっくりと振り返り、緩く瞬きした。
 落ち着き払った彼とは違い、目の前の少年は焦燥の滲んだ、何処か責めるような顔をしている。
 マティアスと、自然と口から漏れた。

 真っ赤な外套の縁には、雪のように白くてふわふわとした毛がついている。しんしんと降る雪が赤に落ちては解けて浸透していった。
 この白銀の世界で鮮やかに映えるその赤を、アルフレートは以前も見ていた。

 マティアスの美しい金髪よりも目を引くそれを凝視しながら、雪景色と同様にぼんやりとした意識の中、怒鳴る彼の言葉を受ける。


「こんな所で何をしているんだ。傷口が開いたらどうする……!」

「……すまない。部屋で一人でいても、落ち着かなかったんだ」


 アルフレートは、そこでまた瞬きを数度。首を僅かに傾けると。髪が左目を覆う包帯にすれて微かな音を立てた。


「もしかして、ずっとオレを探していたのか?」


 マティアスは目を剥く。
 ややあって、目を逸らして言葉を詰まらせた。


「っ……怪我の具合を、見舞おうと思っただけだ」

「そうか……。オレのことを、気遣ってくれたんだな」


 それはマティアスだけではなく、自分へ確認するように、ぼそりと言う。

 マティアスは即座に否定した。訊きたいことがあったのだと、あくまで気遣った訳ではないのだと言い張った。


「訊きたいこと……?」

「なぜ、あんなことをした」


 咎めるような響きだ。怒りが滲んでいるというのに、滑らかな彼の声が乾燥した空気によく響く。
 アルフレートは薄く唇を開いたまま、暫し沈黙した。


「そうしなければ、お前が死んでいた」

「この命に、お前が身体を張って守る価値などない……!」


 声が一転する。
 苦しげだ。
 顔も、声も。


「なぜだ……答えろ、アルフレート……!」


 絞り出した言葉に、アルフレートは見出し、薄く笑んだ。少しだけ、安堵したように、嬉しそうに。


「初めて、お前の声を聞いたような気がする」

「何……?」

「ずっと、お前がどんな人間なのか、知りたかった。こうして、話が出来たらと思っていた」

「何を言って……」


 アルフレートはそこで口を閉じた。目を伏せ、開く。
 先程までの朧な眼差しは、しっかりと決意のような強い光を湛えてマティアスに向けられた。

 ほんの少しだけ、マティアスが気圧されたように背中を反らせた。


「マティアス。お前は、王になるべき男だ。オレの命に代えても、守る価値のある人間だ」


 子供の頃からアルフレートはずっと、ずっとマティアスを見ていた。
 自らを厳しく律する姿は、王に相応しい器を窺わせる。
 アルフレートの兄よりも、強固で揺るがない、人を導く灯台よりももっともっと明るい光を備えていた。自分も、兄も――――いや、彼らの周囲には到達し得ぬ程の大器。彼らの父にも似た強靱な素養。
 子供の内からそれを成す人間など、そうはいない。

 それに……。

 アルフレートは腰に差していた愛剣を抜き、王の器に見せる。


「マティアス。どうかお前に、この剣を捧げさせてくれ」


 マティアスは愕然と顎を落とした。
 唖然と固まる彼にアルフレートは言葉を続ける。


「もしお前が、少しでもオレに心を砕いてくれるなら、そうすると決めていた。望み通り、お前はこうして来てくれた。オレはお前と共に、この国の未来を作りたい」


 言葉を失っていたマティアスが再び取り戻すのには、少々の時間を要した。
 アルフレートを見据え、確かめるように声を低くして返す。


「……わかっているのか。それが、お前の一族を裏切る誓いになると」

「ああ。覚悟はできている」


 今度は、マティアスが沈黙する番だった。
 唇を真一文字に引き結んで、アルフレートを探るように凝視する。

 アルフレートはそれを甘んじた。どれ程疑われたとて、自分の言葉に嘘は何一つ無い。家を裏切るという不義を働きながらも、全身全霊を持ってマティアスに忠誠を誓える。未熟なりにも、この決意は金剛石よりも堅い。
 ただただ黙して彼の選択を待ち続けた。

 やがて――――。


「わかった。その剣、受けよう」


 ――――柄を掴むアルフレートの悴(かじか)んだ手に、己のそれを重ねた。その手は、アルフレートにはとても暖かく感じられた。
 感動に彼の名前を白い息と共に漏らしたアルフレートに、マティアスは言葉を続ける。


「オレはその剣に代わり、お前の左目になる。俺を側で支えてくれ。アルフレート……」


 アルフレートは、大きく頷いた。




‡‡‡




――――懐かしい夢を見た。
 古い夢だ。
 アルフレートは瞼を押し上げ……固まった。


「……アリマ?」


 何故か、正面に有間の顔がある。安らぎも何も無い寝顔だ。
 ……いや、正面ではない。自分の顔の上だ。
 それに後頭部に何か柔らかい感触がある。温かい。

 ややあって、アルフレートは己の状況を理解した。理解した途端、羞恥が熱となって全身を駆け回り、顔面で爆発した。
 慌てて身を離すが、有間は起きる気配が無い。
 この状況下で眠りはいつも異常に浅くなっていると、行軍中に彼女はぼやいていた。

 それなのに、肩を掴んで揺すっても目覚める気配が無い。
 もしかすると、昨日の襲撃と負傷で本人でも自覚していない疲労が溜まっていたのかもしれない。
 そっと肩から手を離すと、揺すった故かバランスを崩して有間の身体がアルフレートに寄りかかった。

 即座に支え、暫し思案して己の膝に純白の頭を乗せる。逆になってしまった。

 安らぎの無いただの寝顔を見下ろし、アルフレートはその柔らかな頬をそっと撫でた。
 この戦争にティアナ共々巻き込んでしまったことに、罪悪感が無かった訳ではない。
 戦渦で想像も付かないような辛い目に遭っている彼女にトラウマを呼び起こさせるような真似をして、本当に申し訳なく思っている。

 けれども、アルフレートにとってやはり有間の存在は心強いのだ。邪眼一族やヒノモトの術を扱えるといったことは関係無く、ただ側にいるだけでアルフレートの思いは強くなる。守りたいと、力が籠もる。
 勿論、自分の我が儘だけではないが――――むしろそれだけなら自分で律している――――アルフレートの中で有間の存在は、初めて目にした時よりすでに大きかった。

 頬を撫でながら、ふと親指が淡く色づいた唇を掠める。
 少年めいた有間も、よくよく見ると年頃の娘らしい部分が沢山あった。化粧されて帰ってきた時も、女性らしさがうんと上がって若い女性らしい色香を放っていた。
 微かに湿った唇をじっと見下ろし、下唇をそっと撫でるその時――――。


「この状況で親友の娘の寝込みを襲おうとしないでもらいたいのだが」


――――頭上から声が降ってきた。



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